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薄野一目神社
うすのひとつめじんじゃ
熊本県山鹿市久原字薄野  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

旧村社

御祭神
天目一箇神

山鹿市の中心部から、北東へ4Km。
首石峠へ向う道から、少し北へずれた場所にある。
大雑把な場所しか調べずに、「日本の神々」を見て、
思いつきで出かけたため、かなり道に迷ってしまった。
でも、地元では有名な神社らしく、
道をお聞きした人の印象では、誰でも知っている感じ。

道路脇に鳥居があり、川沿いの参道を進むと境内。
鳥居脇には「ほたるの里」という案内があった。

社伝によると、継体天皇四年(510)十一月、
高天山の神主若山連の後裔吉田氏が祀ったという熊本県内屈指の古社。

祭神は天目一箇命であり、鍛冶集団の神。
筑紫・伊勢の忌部の祖である。
社地周辺には旧銅山があり、採掘の神として祀られた。
菊池川流域には古代製鉄遺跡も広く分布している。

また、社記によれば、
蒲生の不動岩と彦岳権現が首引きをした時
わが子の首引を案じていた母神の目に首引きの大綱の端が当たり
一目をうしなわれたので、その母神を祀ったとある。

境内はそれほど広くはないが、
周囲には自然が多く、後方の池が神秘的な雰囲気だ。

社殿周囲には、境内社や石祠が多く祀られ、
参拝時に、先客が一人、全ての社に、丁寧な参拝をなさっていた。
邪魔をしては悪いので、しばらく、池畔でボーっとして過ごす。

確認できた境内社は以下の通り、
八坂神社・猿田彦大神石碑三基・熊野座神社・木幡神社・稲荷神社・天満宮、
その他不明石祠。

境内裏には「世止命の池」があり、名勝地である。
本居宣長の『玉勝間』十一巻に、肥後神楽歌として、
「一目のよとみの池に船うけてのぼるはやまもくだるはやまも…」
という一句が刻まれている、その池だ。


参道入口の鳥居
右に「ほたるの里」の案内


楼門

境内入口

社殿

本殿

社殿

八坂社

熊野座社

天満、稲荷、木幡社

境内後方の世止命の池

猿田彦大神

不明

猿田彦大神

不明

参道入口鳥居扁額

境内鳥居扁額

社記
 本社薄野神社は天目一箇神を祭り一般に一ツ目神社と称する  肥後国誌に記載されている社殿裏の世止命の池の水生植物群落  春の桜 秋の紅葉など県北の名勝として広く知られている
 今から約千五百年の昔 繼体天皇の四年(五一〇)十一月 高天山の神主若山連(むらじ)の後裔吉田氏が斎き 祀ったといい県内屈指の古社である
 現在の神殿は焼失後、元禄六年(一六九三)二月建立したが 再び炎上 安永八年(一七七九)再建 拝殿は天明三年(一七八三) 十月 楼門は寛延四年(一七五一)の建立である。
 もと旧三玉村の村社であったが昭和二十一年三月宗教法人となった  境内神社として八坂神社(祭神素盞嗚命)熊野座神社(伊弉冊命) 木幡神社(天忍穂耳命)稲荷神社(倉稲魂命)天満宮(菅原道真)を 祀る 昭和二十七年新法人切り替えによって久原の本今田  永田 本霊仙に奉祀する菅原神社三社および催合の 天神社を飛地境内神社とした 祭神はいづれも菅原道真公である
 伝承によると 往古旧三玉村蒲生の不動岩と 旧三岳村彦岳権現が首引きをした時 この地にあって わが子の首引を案じていた母神の目に首引きの大綱の 端が当たり一目をうしなわれたので その母神を祀って 一ツ目神社と称するようになったという
 また民俗学上では天目一箇神は古代における鍛冶集団の 祀るところであるともいう
 本社を有名にしたのは 寛政のころ(十八世紀)伊勢松坂の 本居宣長の門に学び 肥後の国に初めて国学を 導入した社司帆足長秋である
 彼が書写した古事記伝は高く評価され県重要 文化財に指定されている また彼が描いた神社絵図も 今に遺り荘厳な本社の往時を語っている
 平成三年九月の第十九号台風のため拝殿は倒壊し 神殿 楼門 境内社等も多大な被害を受けたので 氏子相謀り拝殿並びに篭堂(こもりどう)を新築し 神殿 楼門 境内社を修復し平成五年四月三日 盛大な落成式を挙行した
 平成五年四月三日

−拝殿の案内より−



【 薄野一目神社 】

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