[HOME]  >  [神社記憶]  >  [九州地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


宇奈岐日女神社
うなぐひめじんじゃ
大分県由布市湯布院町川上2220  Zenrin Data Com Maps display !!


十六八重菊


五七の桐

朱印のページへ!!

式内社 豊後國速見郡 宇奈岐日女神社
旧県社

御祭神
國常立尊 國狹槌尊 彦火火出見尊
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 神倭磐余彦尊 神渟名川耳尊

温泉で有名な、大分県湯布院にある神社。
当社を探している時に、市街地のあたりで一の鳥居らしき鳥居を見た。
その鳥居から、さらに東へ進むと境内がある。

境内入口は西向き。
当社の斜め左後方に、湯布院のシンボルである由布岳が聳えている。

鳥居をくぐり参道を進み、社務所の前を通過すると神門があり、
神門の奥に、社殿のある境内。
境内中央に拝殿があるが、社前に橋がかかっている。

拝殿は入母屋造、後方の本殿は、美しい朱の流造。

社伝によると、人皇第十二代景行天皇の御宇十二年冬十月の創祀。
景行天皇速津媛に迎えられ、土蜘蛛を討伐した時、
当地の「二株一幹之霊杉」を見て、皇祖霊と崇め
天神地祇皇祖を祀った社であるという。

式内社・宇奈岐日女神社に比定されている古社で、
元慶七年(883)九月二日、正五位下を叙された神社。

通称「木綿神社」「六所宮」で、祭神は六柱。
康保年間(964〜967)、日向霧島の霊場を作った性空が
由布岳、鶴見岳を中心に六観音の霊場を開き、
当社を修験の霊場としたことにより、六社権現とも称す。

神社名「宇奈岐日女」なので、本来は、宇奈岐日女を祀っていたはず。
豊後国大野郡の俵積神社には、宇奈岐日古が祀られているらしい。

社名からの連想で、一説には、池沼の精霊・ウナギを祀っているという。

明治六年郷社に列し、大正十二年県社に昇格した。

年末早朝の参拝。境内から由布岳が見える。
なかなか清々しい神社だった。

境内社は三社。
社前の橋の左右に政正社と厳島社。その他に御年社も祀られている。
また、御年社の横には、平成三年の台風で倒伏した御神木の杉株が並べられている。


境内入口

参道

神門

社殿

境内

橋の左、政正社
天津兒屋根命 天種子命 菅原道眞

橋の右、厳島神
市杵嶋姫命

拝殿

御神木

拝殿

本殿

御年神社 御年神

境内から由布岳

宇奈岐日女神社(六所宮)旧県社
大分郡湯布院町川上 久大線 由布院駅より一○粁
祭神 国常立尊 国狭槌尊 彦火火出見尊 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 神倭磐余彦尊 神渟名川耳尊
例祭 九月二二日 本殿 流造朱塗 一六坪 境内 一一、一六八坪 末杜 九社
宝物 社号額字(神祇伯)、菊桐紋円鏡六面、古事記伝一部(延岡藩主奉納)、古文書
氏子 一万二千八百戸
神事と芸能 夏越祭と攘蝗祭(旧六月晦日)
由緒沿革 延喜式内の旧社で、元慶元年従五位上に昇叙せられた。一に木綿明神とも称せられ、初め由布郷温湯村にあり、中古六所権現とも称した。古来地方の名祠として聞え、上下の崇敬を聚め、古く祭田数百烟を有し、累代領主からは社地の寄進があった。大正一二年県社に列す。

−『神社名鑑』−

宇奈岐日女神社
鎮座地 湯布院町大字川上字六所二二二〇番地
御祭神  國常立尊
     國狭槌尊
     彦火火出見尊
     彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊
     神倭磐余彦尊
     神渟名川耳尊
御由緒 創祀は人皇第十二代景行天皇の御宇、十二年冬十月。 嘉祥二年(八四九年)六月『從五位下』(続日本後紀)。 元慶七年(八八三年)九月二日『正五位下』(三代実録)に叙されている。
延長五年(九二七年)『延喜式』の『神名帳』に列記された『式内社』である。
明治六年郷社、大正十二年県社に列せられた。

−境内案内−



【 宇奈岐日女神社 】

ボーダー




九州・沖縄地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
福岡県

大分県

佐賀県
伊万里市
佐賀市
三養基郡 みやき町
三養基郡 基山町
唐津市

長崎県
壱岐市
対馬市

[旧上県郡] [旧下県郡]
長崎市
平戸市

熊本県

宮崎県

鹿児島県

沖縄県