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大穴持神社
おなんじじんじゃ
鹿児島県霧島市国分広瀬1090  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 大隅國囎唹郡 大穴持神社
旧県社

御祭神
大己貴命 配祀 少彦名命 大歳命

鹿児島県霧島市にある。
60号線と10号線の交わる場所に境内がある。
交通量が多いので、車を止めるのに苦労したことを覚えている。

本殿は白板でおおわれている。
北陸などの雪国の場合は、雪囲いが普通だが、
鹿児島の当社では、なんのためにあるのだろうか。

通称は「オナンジサア」。

創祀年代は不詳。
式内社・大穴持神社に比定される古社。

淳仁天皇の平宝八年(764)十二月から当地に異変が続き、
爾来十数年間に渡って、異変が続いたという。

この神の仕業と考えられた異変は、
地震などをともなう海底火山活動によって
新しい島が出現したことらしく、
当初は、その神造三島の宮州(宮瀬)という地に鎮座していた。

その後、島が崩れてしまい、宮州が海面の下になったことから
現在地に遷座されたという。

この神造三島は、現社地の沖数キロの場所にある
辺田小島、弁天島、沖小島のことらしい。

ある時、祭神・大己貴命が牝馬に乗って領内を見回っていた時
突然、牡牛が襲って来た。
牝馬は驚いて、麻芋畑に逃げ込んだが、大己貴命は落馬してしまい、
その途端、大己貴命は足を蝮に咬まれてしまったという。

故に、当地では麻芋を植えることを厭い、
マムシを忌むため、マムシ除けの神として信仰されているという。

当社に関しては、奥州津軽山に鎮座していた神だが
西国守護神として当地に遷座して来たという説もあるらしい。
当地での火山活動が、陸奥国での火山活動と関連して考えられたのだろうか。

拝殿まわりに、同じような小祠が五つあるが詳細不明。
『式内社調査報告』には、
日神社、月神社、稲荷神社、大田神社、大王神社の五社の名が載っている。

境内脇の木々の間に石祠があるが、こちらも不明。

当社の神紋は、社号標の台座にある五七の桐。


境内

社殿

本殿

境内社

境内社

境内社

境内社

境内社

石祠

大穴持神社
祭神 大己貴命少彦名命大歳命
創建年代 宝亀九年(一七七八)
 この神社は、光仁天皇の時奥州津軽山に鎮座されていた、その後勅命を以って神造島(今の小島)に遷座したが、島くずれのため現在の場所にうつされたと伝えられている。「医療の神」として、また「まむしよけの神」として崇められている。
 地元の人たちは普通「おなんじさあ」と呼んでいる。

−境内由緒−

 淳仁天皇天平宝字八年(七六四)十二月、続日 本紀は、史上はじめて鹿児島の地名をあげて、そこに一異 変が発生したことを次のように記し、爾後十数年間にわた ってその異変の余波が息まなかったことを追記して、それ が神の仕業であったことを述べている。
是月 西方ニ有リ馨 似テ雷非ス雷ニ 時ニ當テ大隅薩摩兩國之 堺ニ 烟雲晦冥 奔電去來ス 七日之後乃天晴ル 於テ鹿嶋 信尓村之海ニ 沙石自聚テ 化成ル三ノ嶋ト 炎氣露見スル有テ 如ナル冶鑄之爲(シワザ)ノ形勢相連望メバ似タリ四阿之屋ニ 爲メニ嶋ノ被ル 埋メ者 民家六十二區 口八十餘人
また称徳天皇天平神護二年(七六六)六月
己丑 大隅ノ國神造新嶋 震動メ不息マ 以テ故ヲ民多クハ流亡ス 仍テ加フ賑恤ヲ
そして最後に光仁天皇宝亀九年(七七八)十二月
甲申 去ヌル神護中ニ 大隅ノ國ノ海中ニ有リテ神造ル嶋ヲ 其ノ名ヲ曰フ大 穴持神ト 至テ是ニ爲ス官社ト
 以上前後三回にわたる正史の記事から、官社としての大 穴持神社創始の歴史は明らかである。社伝によれば、神社 は初め神造新島のうちの宮州(宮瀬ともいい現在は海面下 にある)というところに鎮座があったというから、宝亀九 年代の官社がそれであったことは凡そ察しがつく。ところ で『三国名勝図会』に「延喜五年正月、社司谷口某が呈状 に、初め社は宮洲に在りて神体は石像なりとあり、今木坐 像なり、其宮洲は今の社地を距ること午方八町許りの海中 にあり、前に出せる神造三嶼の一、後海に没れ、潮退時は 徒渉すべしといへるもの是なり」とある記事を参酌するな ら、延喜五年(九○五)正月当時はすでに宮州は海面下に 没していたともとれる。したがってこの年の八月に詔命が 下って延喜式の編纂がはじめられたというのが事実なら ば、その時点で集録された神名帳所載の本社の所在は、さ きの宮州からの移転先となった恐らく現在の場所が記され たものであらう。そこはいはゆる神造三島と考えられてい る今の隼人町辺田小島・沖小島・弁天島とは僅かに郡界の ちがいで国分市(古囎唹郡)に編入されている小村(『鹿 児島県神名牒』は「小村」といえるも神村なるべしと云っ ている)の海岸に面する景勝の地で、神造三島はそこから 西南方向約三キロの海上にある。
 ところで本社の由緒について『神社佛閣帳』は別に説を立 てて、「右大明神ハ昔奥州津軽山ヘ鎮座候處爲西國守護神 下向可有旨勅命ヲ以常洲込江庄□□氏宮永家上下□拾五人 ニテ神廟ヲ守護シ罷下リ日州串良島沖ニテ荒ク候ヘ共神 寄特共ニテ串島ヘ御着船其地串島ノ守護野邊氏ノ人ヲ頼十 七日滞留夫ヨリ福島ヘ御着……敷根ヨリ船ニテ隅州福瀬之 渡ニ着船ノ時越保元年辛丑三月五日ニテ候福島村へ假殿出 來其後小村ヘ本宮作有之祭田過分ニ相付大宮司ヘ大屋敷着 被下由申傅候云々」など細かな道中記を記して越保元年辛 丑三月五日到着、はじめ福島村の假殿に入り、その後小村 の本宮に入ったものであると伝えている。『神社撰集』は この異説について「越保ノ年號不及聞又此時西國ノ守護神 少キ故以勅命西國ノ鎮守トノ御下向ト記タル事甚非ナルへ シ云々」と批判してゐる。明治四年五月縣社に列す。

−『式内社調査報告』−



【 大穴持神社 】

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