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早吸日女神社
はやすいひめじんじゃ
大分県大分市大字佐賀関3329  Zenrin Data Com Maps display !!


下がり藤

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式内社 豊後國海部郡 早吸日女神社
旧県社

御祭神
八十枉津日神 大直日神 底筒男神 中筒男神 表筒男神 大地海原諸神
本来は 早吸日女神 のはず

大分の東端、佐賀関のくびれた部分にある。
635号線から少し東奥へ入ると境内がある。

豊後水道この場所は、速吸瀬戸(早吸門)といい、
激しい潮流にもまれる難所として有名。
この難所に育ったサバは関サバとして高値で取引されている。

境内入口は西向き。石造鳥居の奥は、駐車場になっていた。
鳥居をくぐり、参道を進むと瓦葺の総門。
総門をくぐると鳥居が建っており、正面には伊邪那伎社がある。
その伊邪那伎社の前で右へ曲がると、社殿のある広い境内。
中央に大きな拝殿が鎮座。
拝殿の後方、朱の垣の中に美しい本殿がある。

本殿の屋根には、内削ぎ、外削ぎが交差した珍しい千木が並んでいた。

関権現社、関宮、関六所大神宮、御関様とも呼ばれた古社。

神代の昔、伊邪那伎神が潮中に潜り、汚穢を灌ぎ、
高門巌に昇って、田刈穂に宮殿を造ったのが当社の起源。

「田刈穂」とは一名「高風」といい、現在の古宮の地。
当社の西1Kmほどの所にあり、元の鎮座地であるという。

大宝元年(701)、あるいは昌泰年中(898〜900)、
神慮によって清地を選び、現在地に遷座。
この「清」が「洲賀」「佐賀」と変化したという説がある。

また、境内案内によると、神武天皇御東遷の途路、
速吸の瀬戸において、海女黒砂真砂の二神が
海底から取り上げて奉献した神剣を御神体として古宮の地に
天皇自から祓戸の神を奉斎し、建国の大請願をたてられたのが創祀とある。

また、『平成祭データ』には、近衛天皇久安元年(1145)、
神像が海中より出現の奇瑞があり、これを奉斎したのが起源とある。

古くは関権現とも称し、
式内社・早吸日女神社に比定されている古社だが
少なくとも平安時代には仏教と習合して宮寺となっていたらしい。

関ヶ原の戦当時、当地での戦火によって焼失し、
慶長七年、社殿を再建。
その後、社殿の修築、再建が続き、
現在の本殿は延宝三年(1675)に再建されたもの。

早吸日女は「速来津姫」という名で、肥前国風土記に登場する。


一ノ鳥居

総門

境内の鳥居

参道正面に伊邪那伎社

神楽殿

境内と拝殿

本殿

本殿

広い境内で、境内社も多い。
楼門をくぐった境内に、小祠。恵美子社か。
池の中に厳島社(市杵嶋姫神)。
鳥居横の池にも神明社(天照皇大神)。

参道右側には護国神社、隣に天満社(菅原道真)。
右側奥には稲荷社(保食神)。

境内左側にも末社が並ぶ。
まず参道正面に伊邪那伎社(伊邪那伎神)。
炊井、木本社(椎根津彦神)、生土社(埴安神)と相殿社(健磐龍神武内宿祢神)。
歳神社(大年神御年神)と天然社(醍醐天皇)と若御子社(黒砂神・真砂神)。


恵美子社

厳島社

神明社

池の中に神明社

護国神社

天満社

稲荷社

炊井

木本社

生土社、相殿社

歳神社、天然社、若御子社

早吸日女 由緒略記
祭神  八十枉津日神 大直日神 底筒男神
    中筒男神 表筒男神 大地海原諸神
創祀  皇暦記元前七年(西暦紀元前六六七年)
社格  式内小社 旧県社
境内地 二一、一九六坪(七〇、〇六九平方メートル)
境内末社 十二社
主な祭典 一月一日   元旦祭   十一月三日     明治祭
     二月十一日  紀元祭   十一月十五日    七五三祭
     二月二十八日 祈年祭   十一月二十九日   新嘗祭
     五月三日   ふじ祭             大麻頒布祭
     六月三十日  大祓              関権現講祭
     七月二十八日 神衣祭   十二月二十三日   天長祭
     七月二十九日 例祭神幸祭 十二月三十一日   大祓
     七月三十日  還幸祭   毎月一日、二十五日 月次祭
由緒
当社は人皇初代神武天皇御東遷の途路、速吸の瀬戸に 於いて海女黒砂真砂の二神が海底から取り上げて 奉献した神剣を御神体として古宮の地に天皇御 自から祓戸の神(当社祭神)を奉斎し建国の大 請願をたてられたのが、創祀である大宝元年(七〇 一年)神慮によって現在の社地に遷座。延長五年 (九二七年)延喜式を制定するに当り式内社に列 せられ爾来諸災消除開運の神として皇室を始 め諸大名の崇敬厚く遠近の諸人も伊勢神宮になぞ え関大神宮又御関様(関権現)とも称し伊勢神 宮に参詣することを参宮当社に参詣することを 半参宮ととなえ、多くの信仰をあつめて今日に及ぶ。 慶長五年(一、六〇〇年)兵火によって社殿宝物一切を 焼失したが慶長七年加藤清正侯当地を領する に当り社殿を再建後、藩主細川侯の再建修 築に係るもの多数現存 昭和四十八年九月社殿 改修並に社務所、参集殿新築工事竣工、更に神 社の荘厳さを加える。

−境内由緒−


近衛天皇久安元年、神像が海中より出現の奇瑞があり、これを奉斎したのが起源。
のち旧社地古浜より現社地に遷座、社地を拡張した。
以来崇敬を集めて今日に至る。
昭和十一年に郷社に列した。

−『平成祭データ』−



【 早吸日女神社 】

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