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胡簶神社
ころくじんじゃ
長崎県対馬市上対馬町琴1  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐


丸に隅立て四つ目

式内社 對馬嶋上縣郡 胡簶神社
式内社 對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社
式内社 對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大
旧村社

御祭神
表津少童命 中津少童命 底津少童命 太田命
宇都志日金折命 豊玉彦命 『大小神社帳』

長崎県対馬市にある。
上対馬の東側(日本海側)の琴に鎮座。
琴の港から山を越えた場所にある琴崎の先に境内がある。

港からの山道は「遊歩道」ということだが
途中から獣道状態。
山越えの途中に、大きな蛇に遭遇。
道の真ん中で、蛇は動かずに、
ジッとこちらを見ていた。
石を拾って投げてみたが動かない。
仕方がないので、助走を付けて飛び越えて進む。

境内は叢。夏場は来たく無いかもしれない。
境内から海へ下る階段があったので降りてみると鳥居。
鳥居は日本海に向かい、海からの参拝が本来の姿かもしれない。

改めて鳥居から階段を上って参拝開始。
社殿の周りは雑草だらけだったので注意しながら本殿を撮影。

創祀年代は不詳。

式内社・胡簶神社の論社だが、
式内社・胡簶御子神社の論社でもあり、
式内社・和多都美御子神社の論社でもある。
なかなか複雑なのだ。

「胡簶」と書いて「ころく」と読むが、
「やなぐい」とも「しこ」とも読むらしい。

当社は、鳥居扁額にもあるように
鎮座地名から「琴崎大明神」と称されており
『對州神社誌』にも、琴崎大明神と記されている。

その境内社として、寄神と山元しこ島大明神の名も記されているが
本来は、この山元しこ島大明神が、胡簶神社の論社。
が、当社に合祀され、現在は境内社として存在していないので
結局、当社・琴崎大明神が胡簶神社の論社であり
明治になって、胡簶神社と社号を改めた。

また、今は存在しない山元しこ島大明神は
山本(山元)神社と、しこ島神社の合体であるとも考えられ、
しこ島神社が、本来の胡簶神社かもしれない。

胡簶御子神社の論社となっているのは、
琴港にある現・胡簶御子神社との関係が問題。
集落に近い現・胡簶御子神社と
集落から離れた胡簶神社(当社)のうち、
どちらが御子神であるか定かではないとする考えによる。

当社の伝承として、
神功皇后の新羅征伐の時、当社沖に停泊していたが、
碇が海底に沈んだので、安曇磯良が潜って引き上げたという。
海に面して鳥居があり、当社と海(海神)との関係は深いと思われ、
そのような理由から、和多都美御子神社の論社とも考えられている。


海に向かう鳥居

扁額に胡簶神社

さらに鳥居

さらに鳥居

扁額に琴崎大明神

さらに鳥居

上から参道

境内社殿

拝殿内部

本殿

胡簶神社 やなぐいじんじゃ(対馬島・上県)
 「やなぐひ」は矢を入れて腰につける道具である。上代では矢を入れる道具に靫(ユキ)とヤナグヒとがあった。靫は矢全部を収め背負うのに対して、ヤナグヒは矢じりを収めるだけであった。これによればヤナグヒは「矢の杭」ともいうべきである。当社は琴村の琴崎海岸にあり、荒海に臨んでいる、おそらく琴村ではこのヤナグヒを当社に収め、海が荒れるたびに矢が飛び出して龍神を鎮めて下さいと祈ったのであろう(始めは龍神を征し、後には献上品の意味となったのであろう)。今は「神体幣四本」とある(後者の意味)。対島ではヤナグヒをシコともいう。境内に「山本しこ島大明神」がある。

−『神名の語源辞典』−



【 胡簶神社 胡禄神社 】

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