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海神神社
かいじんじんじゃ
長崎県対馬市峰町木坂247  Zenrin Data Com Maps display !!


十六菊

式内社 對馬嶋上縣郡 和多都美神社 名神大
式内社 對馬嶋上縣郡 和多都美御子神社 名神大
式内社 對馬嶋上縣郡 胡簶神社
式内社 對馬嶋上縣郡 胡簶御子神社
旧國幣中社
對馬國一宮

御祭神
豊玉姫命
配祀 彦火火出見命 宗像神 道主貴神 鵜茅草葺不合命

長崎県対馬市にある。
上対馬の西側、峰町木坂に鎮座。
382号線から、三根湾の北側、海沿いの道を西へ進み
トンネルを越えて、さらに西へ。

周辺の木坂山(伊豆山)は千古斧を入れない
天然記念物の原生林で「野鳥の森」となっている。
境内はかなり広く、木坂山全体が御神域なのだろう。
伊豆山の伊豆とは「稜威」「厳」であり、
不浄を許さない聖地を意味する。

境内入口の鳥居脇には「國幣中社海神神社」と刻まれた社号標。
境内に入ると、境内社・祭魂社がある。

参道を進み、参道鳥居をくぐって長い階段を上る。
階段上にも鳥居があり、振り返ると海が見えた。

階段を上りきると社殿のある境内。
正面に大きな拝殿があり、
拝殿の後方、垣の中に、大きな本殿がある。

境内に入った所に、御守りなどを置いている授与所があるが
参拝時には無人で、境内にも人の気配がなかった。

創祀年代は不詳。

対馬の一之宮として崇敬されている大社。

『對州神社誌』には「八幡宮」と記され、
明治までは「八幡宮」と称していた。
一説には、継体天皇の御代、祭殿を建て、
八幡宮と称したといい、我が国八幡宮の発祥の地とも。

当社は、式内社・和多都美神社の論社の一つ。
「海神」と書いて「わたつみ」「わだづみ」と読めるらしい。
よって、明治三年に、和多都美神社と改称したが
明治六年、現社号・海神神社となった。

仁徳天皇の御代、異国の軍船が本州西面の海上に来襲した時、
木坂山の峰から奇雲と烈風が起り、軍船を退けたという。

このように、当社は海神への信仰と八幡としての信仰が
渾然となった複雑な神社のようだ。

また、当社を式内社・和多都美御子神社とする説もある。
対馬の祭祀では、親子神が祀られるとき、
親神を里近くに、子神を人里離れた聖地に祀ることが多いが、
和多都美御子の場合も、聖地(伊豆山)に祀ったという考え。

また、当社を式内社・胡簶神社とする説、
式内社・胡簶御子神社とする説もある。
これは、胡簶を「やなぐい」と読み矢との関連から
当社・八幡宮が矢を献上していたという記録によるもの。

拝殿の右手に境内社の祠が5つ。
左から、
摂社・行先殿、摂社・濱殿御子神、摂社・乳母神を祀る祠。
一宮神、白鬚神、御先駈神、飛崎神を祀る祠。
若宮神、瓊宮神、五王神、飛崎神を祀る祠。
新霊神、金倉神、貴船神を祀る祠。
今宮神、寶満神、濱殿神、左廳神、美女神、天道神を祀る祠。


祭魂社

参道鳥居

鳥居

拝殿

境内社

本殿

摂社
行先殿
濱殿御子
乳母

一宮神
白鬚神
御先駈神
飛崎神

若宮神
瓊宮神
五三神
飛崎神

境内




新霊神
金倉神
貴船神

今宮神
寶満神
濱殿神
左廳神
美女神
天道神






長い参道階段

参道階段上から海が見える

海神神社
Kaijin Shrine
峰町木坂伊豆山鎮座
祭神 主神 豊玉姫命 合殿 彦火火出見尊 鵜茅葺不合尊 外二神
この外に摂社・末社十七座
由緒
 本社は、延喜式神名帳所載、対馬上県郡の名神大社和多都美神社に比定され、神功皇后の旗八流を納めた所として八幡本宮と号し、対馬一ノ宮と称されたもので、明治四年に海神神社と改称、国幣中社に列せられた。
 本社の造営は、古く大宰府所収上県郡の貢祖数ヶ年分を以て充てられ、藩政時代には藩費によって、およそ四十年ごとに造営されたものである。
祭礼
 毎月一日、月次祭。二月十七日(古例は旧正月十五日)、祈年祭。旧八月四日、前夜祭。五日、古式大祭。霜月初卯、一宮祭。
 古式祭には神幸式、放生会、神楽があり、古くは鉾舞や舞楽があったが今は絶えた。

−境内由緒−

海神神社 長崎県上県郡峰町大字木坂。旧国幣中社(現、別表神社)。豊玉姫命を主神とし、彦火火出見命鸕鷀草葺不合尊宗像神道主貴神を配祀している。社伝によれば、神功皇后が新羅よりの帰還の途、上県郡峰町に至り旗八旒を蔵ゆて、新羅を鎮める験としたといい、それが現在の宗形八幡という。その後旗は、木坂山に遷し、木坂八幡宮(当社)とし、宗像社を末社にしたという。また、仁徳天皇の御宇、異国の軍艦が本州の西面の海面に来襲した折に、木坂山の山頂より奇雲烈風が起こり、軍艦は散じ沈んだとも伝えられている、承和四年(八三七)二月、従五位下を授けられ、貞観元年(八五九)正月、従五位上、同一二年三月正五位下に昇叙されたことが国史に見えている、『延喜式神名帳』には「和多都美神杜」と見え、名神大杜に列している。  また対馬国一の宮として、衆庶の崇敬を集めた。中世以降は、八幡本宮とか上津八幡宮と称され一般に尊崇されていたようである、社殿の造営は、古くは、対馬国から太宰府に納める税が充てられ、不足の分は神領の民戸の手で補われていたが、遷座の時は、特別に太宰府より御料が進められた。建長四年(一二五二)に社殿の修理が行なわれ、嘉暦二年(一三二七)再建、永和四年(一三七八)宗澄茂により社殿の造営がされて以来、宗氏によりたびたび修造が行なわれた。明治四年(一八七一)五月一四日、国幣中社に列した。例祭旧八月五日。神事に浜殿放生祭がある。

−『神社辞典』−



【 海神神社 (対馬) 】

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