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出羽神社 (三神合祭殿)
いではじんじゃ(さんじんごうさいでん)
山形県鶴岡市羽黒町手向字羽黒山33
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月山神社 式内社 出羽國飽海郡 月山神社 名神大 |
山形県羽黒町にある。
鶴岡駅の西15Kmほどの羽黒山(419m)山頂に鎮座。
山頂へは羽黒山南麓から羽黒山道路が延びており、
車でも行けるようだが、時間と体力があるなら、表参道だろう。
ということで、北西麓の手向にある表参道入口へ向かう。
1.7Km、2446段の階段を登ると境内。
参拝は夏の八月。汗だくになりながらの参拝だった。
途中に茶店のような休憩所があるのが救い。
羽黒山に鎮座しており、全国に200社ほどある羽黒神社の本源社。
修験の山として信仰され、修験者によって全国に祀られたもの。
社名は、出羽と書いて「いでは」と読む。
出羽の由来は、越国の先端(出で端)にあるためとか、
矢羽に使用する鷹の羽の産地であるとか、
さまざまだが、延喜式では、伊氐波と書くので、
漢字には意味が無いのかもしれない。
いずれにしろ國名を冠する神社で、出羽国国魂神を祀った神社。
本来は、その出羽神社のみが鎮座していたが、
現在は、月山鎮座の月山神社と、湯殿山鎮座の湯殿山神社を合祭し、
三神合祭殿となっており、中央に月山神社、
右に出羽神社、左に湯殿山神社が祀られ、
通称、出羽三山神社(でわさんざんじんじゃ)と呼ばれている。
ただし、出羽三山にも異説があり、
月山と羽黒山の他に、鳥海山や葉山を加える説もある。
創祀年代は不詳だが、一説には推古元年(593年)の開山。
崇峻天皇の第三皇子の参拂理という方が、
蘇我馬子の計略により北海の濱に追放され、
聖徳太子を師として仏門に入り弘海と称していたが、
片羽八尺で三本足の霊鳥に導かれ、羽黒山に至り、
阿久谷の谷で数年の行を行い、能除太子と呼ばれ、
羽黒山に羽黒神を祀り、修験道場を開いたという。
太子の別名を蜂子皇子という。
太子の没後、役小角が入山修行し、太子の法を継いだ。
これらが実話かどうか分からないが、
太子の御名が、いろいろと変化するのが面白い。
三本足の霊鳥は熊野修験道との繋がりを示すと思われ、
弘海という名が高野山を連想する。(これは私見)。
本社には東西の客殿があり、西の客殿に熊野権現が祀られてきたという。
平安後期になると神仏習合がすすみ、
出羽神を観音、月山神を阿弥陀、湯殿山神を大日権現と考え、
三所大権現として三山一体の信仰へと代っていく。
江戸時代に入り、幕府による寺院統制の影響で次第に力を失い、
一時期、別当職にあった天宥によって羽黒山整備が行われた。
表参道の500本の杉並木はこの時のもの。
表参道には多くの祠が祀られ、境内にも境内社が多い。
三山あわせて108社の摂末社があるという。
羽黒山へ向かう道に朱の大鳥居が立つが、
この写真は羽黒山参拝の後、周囲をうろうろしている時に見つけたもの。
だから、どの道に立っていたか覚えていない。
参拝は羽黒山北西麓の手向から表参道を歩く。
参道入口には鳥居が立ち、その後方に随神門。
随神門の前には「天拝石」という石がある。
随神門をくぐると、下りの階段・継子坂。
階段を下りた所に幾つかの境内社。
磐裂神社・根裂神社・五十猛神社・大歳神社・天神社・豊玉姫神社。
大鳥居 |
鳥居 | 鳥居右手に天地金神社 |
随神門 | 随神門前に天拝石 |
境内社 | 境内社 |
磐裂神社 | 根裂神社 | 五十猛神社 |
大年神社 | 天神社 | 豊玉姫神社 |
祓川にかかる神橋を渡ると、右手に須賀滝、左手に爺杉が見えてくる。
天然記念物の爺杉の奥、木立の中に、こけら葺五重塔。
建立は永和三年(1377)あるいは慶安五年(1372)。
神橋 | 須賀滝と 祓川神社と岩戸分神社 | 下居社 |
五重塔 | 爺杉 |
五重塔あたりから2446段の表参道が始まる。
表参道は、一の坂、二の坂、三の坂と続く。
途中、階段の踊り場のような場所にも境内社が祀られている。
下居社・子守神社・保食神社・天満神社・大直日神社
葉山祇神社・埴山姫神社・尾崎神社・八幡神社。
他には芭蕉塚や圓珠院址などの史跡。
二の坂辺りに史蹟南谷がある。が、見ていないのだ。残念。
朱の鳥居が見えてきたら、表参道は終わり。
長かった上りが終わり、ホッとする瞬間だ。
子守神社 | 天満神社・保食神社 | 大直日神社 |
火石 | 葉山祇神社 | 愛宕神社・日枝神社 |
芭蕉塚 | 圓珠院址 |
埴山姫神社 | 尾崎神社 | 八幡宮 |
表参道 | 表参道 | 境内入口 |