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白和瀬神社
しらわせじんじゃ
福島県福島市大笹生字折戸41  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 陸奥國信夫郡 白和瀬神社
旧県社

御祭神
日本武尊

福島県福島市にある。
福島駅から北西へ9Kmほどの大笹生に鎮座。
312号線(折戸笹谷線)を進み、
福島西部広域農道との交差点付近に、参道入口がある。

参道入口に赤い鳥居があり、参道を進むと境内。
境内へは、福島西部広域農道方面から、
直接車で入ることができる。

木々の豊富な境内は広く、
綺麗に清掃されていて気持ちが良い。
境内の右手には、当社祭神である日本武尊の像がある。
日本武尊に縁の神社には、
かならず日本武尊像があるような気がするが
気のせいだろうか。

社殿は、拝殿と本殿。
流造の本殿には、屋根が設置されている。

創祀年代は不詳。社伝によると、
大化元年(645)、烏帽子岳(475m)頂上に鎮座し、
天正年間(1573〜91)現在地折戸(居都)の地に遷座。
よって。居都の明神とも呼ばれている古社。

式内社・白和瀬神社に比定されており、
信夫郡の式内社、白和瀬・東屋沼・東屋国の三社を
上宮・中宮・下宮として、当社を上宮白和瀬大明神といい、
拝殿扁額にも掲げられている。

当社の社号「白和瀬」の由来には、
烏帽子岳麓から流出する水が
白淡するという白淡川(八反田川)による白和瀬説、
往昔、土人が始めて居をなす時、
神が土人に白い早稲を給わうという白早稲説、
祭神・日本武尊から、白鷲説などがある。

文化十二年(1815)頃、当地方の惣社であった
東屋沼神社の支配から独立しようとした動きがあり、
寺社奉行をまき込んだ争いがあったという。

参道入口近くに祖霊社があり、
参道に車松神社(神日本磐余彦尊)がある。
境内案内によると、安産の守護神だそうで、
紅白の枕が多く奉納されている。
ただし『信達一統志』では、
少名日子那命大穴貴命を祭神とし
養蚕の神と記されているらしい。

本殿の周囲にも、いくつかの石祠がある。


参道入口

参道

参道と車松神社

参道脇の祖霊社

車松神社

境内

境内

本殿

拝殿

白和瀬神社由緒
御祭神 日本武尊

 延喜年中、日本の有名神社を選定、全国で参阡壱百参 拾弐社が定められ、陸奥(東北)に壱百座が指定されたと き、この信夫の郷(伊達郡は後に信夫より別れる)に五社が定めら れました。その折、白和瀬神社は陸奥延喜式内壱百座の 内、信夫五社上宮と定められた。
勧請は、人皇参拾六代孝徳天皇(西暦五四五年)の御代、大化 元年、上大笹生村鳥帽子森嶽頂上に鎮祭されました。 しかし、地勢が急峻で容易に登ることができないため、 参拝者の便を図って、天正年中(一五八〇年代)、現在の折戸 の地に遷座し奉り、今日に至りました。
由緒正しき当神社は、昭和二年春、村社から一躍県社 昇格の報告を受け、当社の由緒からみると、県社以上の 資格があるとのことでしたが、維持管理容易でなく、県 社に甘んぜざるを得ませんでした。
白和瀬の名は、信達一統志によると、万葉集下総の歌人 の家持が歌集に、
「早田ト作レリ愚案ズルニ
白淡川ノ水上ニ鎮座ス神ナレバ白淡瀬ナルベシ
アハノアハヲ約シテ白和瀬ト唱ヘ来リシナラム」
とあり、又、白早稲とは、稲からでたという説もありま す。いずれにせよ、壱阡参百参拾年余の歴史をもつ古い 神社であると共に、延喜式内の信夫五社でも社地社史明 確な社として郷土史でも注目されます。
当神社は、五穀豊穰、商売繁盛、特に火難・災難(盗難・ 事故等)除の神として、多くの人々に崇拝されてきました。

車松神社(白和瀬神社末社)御祭神、神日本磐余彦尊境内には、 安産の守神として、車松神社があり、赤白の小さな枕が 供えられております。その枕を借り受け、後日お礼とし て新しい枕を一つ添えてお返しする信仰があり、霊験あ らたかな神社です。

−境内案内板−



【 白和瀬神社 (福島市) 】

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