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遠賀神社
おかじんじゃ
山形県鶴岡市井岡字和田181−1  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に片喰


『式内社調査報告』では
三つ巴(未確認)

式内社 出羽國田川郡 遠賀神社
旧郷社

御祭神
豊受大神 鳴雷神 高靇神 和久産巣日神 大山祇神 猿田彦大神
合祀
天照大神 軻遇突智命 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大己貴神 仲姫命
山末之大主神 應神天皇 玉依毘賣命 神功皇后 武甕槌神 經津主神
天兒屋根命 比賣神 菅原道眞 吉祥姫中將殿 倉稻魂命 素戔嗚尊
大市姫神 五十猛命 気長足姫命 上筒之男命 中筒之男命 底筒之男命
田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命 少彦名命 大物主神 大國魂神 菊理媛神

山形県鶴岡市にある。
鶴岡駅の南西5Kmほどの井岡。
鶴岡駅から山形自動車道を越えて、300mほどで北斜めに入ると、
田の中を、まっすぐに延びる道の正面にこんもりとした丘が見える。
道の突き当たりに鳥居があり、階段を登ると、木々の茂った参道。

参拝日は雨だったため、参道は暗く、神秘的。
参道奥の社殿が、光の中にある。

創祀年代は不詳。
社伝によれば、天長2年(825)、隣村・岡山の伊波宇井山から遷座。
そのため、「岡山大権現」「岡大権現」と称されていた神社。
慶長16年(1611)、北隣に神宮寺である井岡寺を建立。
以後、神佛混淆し、明治維新を迎え、
明治になって、社号を「遠賀神社」に戻したという。

その頃は、境内社9社、境外社3社あったが、
明治11年の火災ですべて焼失し、生國神社を残して、
すべて本社に合祀されたということで、
祭神が、むちゃくちゃ多い。
『平成祭データ』には33柱、『明治神社誌料』には37柱。

石の参道が、雨で少し滑るので、注意しながら歩いた。

社殿の屋根に、片喰紋が付いていたのだが、
『式内社調査報告』では、三つ巴と書かれていた。

確認した境内社は2社。
社名は分からないが『平成祭データ』には、生國神社の名が載っている。
一社は赤い鳥居が設置されているので稲荷社かもしれない。


社域、雨だったので車のフロントガラス越しに撮影

境内入口

鳥居と社号標

参道

境内

拝殿

拝殿扁額

拝殿

境内社

拝殿と注連縄

本殿

境内社

遠賀神社
鎮座地鶴岡市大字井岡字和田一八一の一
祭神豊岡比賣神 稚産霊神 鳴雷神
 大山祇神 高靇神 猿田彦神 外二十七柱
境内神社生國神社
由緒  延喜式神名帳に記載されておる 出羽国 田川郡遠賀神社であって、古くは岡山の岩台 にあったとされ、天長年間(八二五)當地に 移せりと云う。
中世に至り神佛混淆し井岡寺を創設し 別 當を置き、岡大権現と稱せり(山形県神社誌)
長禄四年(一四六〇)三月十八日武藤氏の宿老 渡野辺四郎左衛門重吉懸佛二面を奉納す。
天正年中(一五七三―九二)兵火により焼失  其後再興され、慶長十六年(一六一一)最上義光 より棟札が掲げられ、□□□□神佛混淆にて 傳来せしが維新の際神佛分離により、延喜式 遠賀神社と改稱。明治九年十一月郷社に列す。
明治十一年五月社殿悉く炎上せしが同十五年 本殿新築成り同四十年境内末社を合併し、 明治四十一年幣殿新築せり、昭和二十九年八 月拝殿屋根瓦葺に改める。
昭和四十三年六月祭具庫新築、昭和五十年十月 本殿改築幣殿新築昭和六十二年直会殿改築す。
祭日 元旦祭(一月一日)神幸祭(三月三日、四日)例祭(五月一日) 風鎮祭(八月二十三日)新嘗祭(十一月二十三日)
社殿 本殿(一一七坪)幣殿(十九・一三坪)拝殿(十八・五四坪) 神饌所
工作物 手水舎、直会殿(八・三二坪)神饌詰所(四坪) 祭具庫(三・七五坪)鳥居石造一基  燈籠石造三対 社標石造一基 石碑八基
境内地 五三五二・二三坪
氏子 井岡、岡山、寺田、各自治会

−社前案内板−
注)□□□□は、薄くなっていて読めなかった



【 遠賀神社 (鶴岡市井岡) 】

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