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多賀神社
たがじんじゃ
宮城県名取市高柳字下西50

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式内社 陸奥國名取郡 多加神社 |
宮城県名取市にある。
JR名取駅から名取I.C.方面へ2.5Km。
道路沿いに、なにやらいわくありげな柳があり、
案内板が設置されていたが、文字は読み取れず。
多分、「高柳」の地名に関連するものだろう。
その柳から少し南に、参道入り口があり、
参道を西へ進むと神門、そして境内。
社伝によれば、景行天皇28年、日本武尊東征の時の勧請。
明治22年、仙台市富沢の多賀神社との間で、
式内社・多加神社であるとの紛争が起こったが、
村名を東・西多賀村と分け、
富沢の方を、式内社。高柳を社領のあった地とした。
当地名は、明治の頃は「東多賀村大字高柳」であった。
社殿の左右に、大きなイチョウがあり、
境内は、イチョウの葉で黄色になっていた。
神紋は、よくわからないが、社殿に、菊と桐が付いていた。
社号標 ![]() | 鳥居 ![]() | 参道 ![]() |
神門 ![]() | 境内社 ![]() |
社殿 |
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本殿 ![]() | 社殿 ![]() |
御神木と石 |
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延喜式に名取郡二座の内多加神社とあるもの之なり、社傳云、景行天皇二十八年春二月日本武尊東夷征伐
の節勧請せる所にして、其後雄略天皇のとき圭田を奉じて神禮を行ひしといふ、即ち惣國風土記残欠にいへ
るが如く、圭田五十八束二字田を奉り、式祭を行へりとぞ、明治四年十二月郷社に列せらる、四十二年に村社
熊野神社、八幡神社二社、速徳神社を合併す、社殿は、本殿、拝殿、絵馬堂等を具備し、境内九百七坪(官有地第
一種)外に百二坪里道を境内に編入せらる。 −『明治神社誌料』− |
【 多賀神社 (名取市) 】
