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飯野山神社
いいのやまじんじゃ
宮城県石巻市飯野字宮下北134  Zenrin Data Com Maps display !!


四菱


境内石碑より
未確認

式内社 陸奥國桃生郡 飯野山神社
旧村社

御祭神
稚産靈神 大山津見神 保食神
配祀
天水分神 少彦名神 國水分神 倭健命
那良皇太子 加具土命 火産靈命 大名持命

宮城県石巻市にある。
北上川の西、30号線の東にある飯野山(110m)の
西麓、飯野宮下北に鎮座。当社の西には桃生城跡がある。

境内入口は西向き。
小さな橋を渡ると鳥居があり、
傍らに「延喜式内 飯野山神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと参道階段。
緩やかに上る階段の途中にも鳥居があり、
さらに上ると神門がある。
神門の奥が境内。

一段高い場所に、同じ規模の二棟並んだ社殿がある。
向って右側が本社の社殿。
左側は、境内社の熊野神社(伊弉諾命)。
扁額には「熊埜宮」と書かれていた。

本社拝殿の扁額には「飯野山神社」。
後方には、小さな本殿がある。

境内全体が斜面にあるような感じで、
深く大きな印象。
大きな木も多く、緑に囲まれた空間で気持ち良い。

社伝によると、
人皇第十二代景行天皇の御宇、
日本武尊東夷征伐の折り、
この地に陣を営んだ。

ところが陣中に粮食が欠乏し、
尊が大いに憂いていたところ、
3人の老翁が現れ、飯を炊き奉る。
尊はこれを神助なりと大いに喜び、
平定の後、祠を建ててこれを祀ったのが当社の初め。
よって、当地を飯野と呼び、とぎ汁の流れた川が飯野川。

往古は、飯野山の山頂に祀られていたが、
中古、現在地に遷座。
戦乱により一時衰退したが、
地頭山崎氏が再興し、篤く崇敬したという、

近世には、熊野権現とも称されたが、
現在、熊野社は境内社として、本社と同格に祀られている。
『封内風土記』によると、もともと当地には
熊野社が鎮座していたが、
後に飯野山神社社殿が建てられたという。

本社社殿の右手にある境内社は、八幡神社(應神天皇)。
境内の左手斜面にも二つの祠があるが、
稲荷神社(宇賀御魂命)と天神社(菅原道眞)だろうか。

当社の神紋は、確認できなかったが、
境内の石碑によると、四菱紋。
昔は、菊花紋だったが、明治になって使用を禁じられ、
山崎家家紋に変更したらしい。


参道入口

入口の鳥居

参道

参道

参道の鳥居

神門

境内

二棟並んだ社殿

左の熊野神社

本社

熊野神社

本社拝殿

本殿

八幡宮

延喜式内 飯野山神社
一、祭 神 稚産霊神 大山津見神 保食神
一、御神徳 衣食住の守護神
一、神紋は菊花紋なるも明治二年大政官布告に より使用を禁止さる、依って山崎家の家紋 なる四菱紋に改む。
一、由緒 沿革
日本武尊 東夷征伐の折此の郷に御本陣を 定め給うた時、粮食欠乏し、尊憂い給いし 時に三人の老翁が現れ、粮米を炊き、尊に 奉る、尊御感悦あつて夷賊を平定して後、 祠を建て之を祀る、飯野の地名これより起 ると云う、潘汁の流水至るを飯野川と云ひ 碓を以て粮米を搗きし処に、碓神社を祀る、 地頭山崎氏藩命を承り松前に出陣せし折り 指小旗の徽章に飯野山大権現と記し文化四 年無事帰郷せしに依り奉賽として拝殿を新 築して奉る、寛政年間の棟札には飯野山大 権現とあり、中古山頂より中段なる現在地 に遷座し奉ると云伝へあり。
一、明治四拾年参月壹日 神饌幣帛供進神社に指定さる。

−境内石碑−



【 飯野山神社 (飯野宮下北) 】

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