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安福河伯神社
あふくかはくじんじゃ
宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢字堰下220
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式内社 陸奥國曰理郡 安福河伯神社 |
宮城県亘理町にある。
JR逢隈駅の北西2Kmほどにある、高さ30mの水神山に鎮座。
背後を阿武隈川が流れる場所にある。
参拝した日は、勤労感謝の日。昔は新嘗祭と呼ばれていた日で、
当社でも周辺の氏子の方々が集まって、なにやらお祭りの準備中だった。
僕が撮影している間、邪魔にならないように避けてくれたり、
いくつかの話を聞かせていただいた。
参拝を終えて、階段を下っていると、
手に手に酒や食べ物を持って、多くの人々が集まってくる。
老人はもちろんだが、子供や青年達まで集まってくる様子に、
ちょっと感動してしまった。
社名の読み方に、いくつかの説があり、
「アフカハ」「アフクマカハ」「アフクマカハク」など。
意味は、阿武隈川(安福)の川神(河伯)である。
河伯は、河の神で、竜王とされる場合もあるが、
中には河童と見る説もある。
中国では呂公子という仙人など、諸説あるが、
要するに河の神で、河の恵みと、河の恐怖の象徴。
境内案内では、古鎮座地から現社地に遷座したとあるが、
『式内社調査報告』によると、元来、水神山に鎮座していたが
火災焼失により、祠官の宅地のあった宮原へ移祀。
その後、元の鎮座地である水神山へ戻したとある。
水神山(ミズカミヤマ)は、境内案内では水上山(三掴山)とあった。
本殿左に、境内社・子安神社がある。
その後方に、子を抱えた母神の石碑があり、妙に気になったので掲載。
社号標と鳥居 | 鳥居扁額 | 参道階段 |
境内 |
社殿 | 古峯神社 |
本殿左の子安神社 | 本殿 | 山神? |
子安神社後方の石碑、後方の木には多くの古い注連縄のようなもの |
亘理町指定文化財
平成十年九月七日 指定
安福河伯神社本殿
この神社は、阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る、
「延喜式神名帳」(十世紀)にものっている由緒ある神社(延喜
式内社)である。この地は、古来阿武隈川下流の治水用水、朝廷
の北辺の守りとして重要な場所だったのだろう。そのため、この
地にこの神社が祀られたと思われる。社名は、「貞観紀」(八六
二年)には阿福麻神社、「封内風土記」(一七六九年)には阿武
隈明神社、「安永の風土記書上」(一七七九年)には、阿武隈神
社、以前掲げてあった鳥居の扁額には「阿武隈大明神」とあるが、
みな同一社である。古来近郷の人びとに崇敬され、旧藩時代には邑主亘理伊達家に よって手厚く保護されていたという。また、明治から昭和二十年 (太平洋戦争終戦)までは郷社であった。 この神社は、もと亘理町逢隈田沢字宮原の阿武隈川近く(常磐 線鉄橋の西約二〇〇メートルの堤防の下)に鎮座していたが、の ち(年代不明)現在地の水上山(三掴山)の丘の上に遷宮された。 現在の本殿は、流れ造りで間口二間奥行二間、拝殿は四間に三間、 幣殿は二間に一間。建築年代は本殿が安政五年(一八五八年)八 月で拝殿・幣殿はそのあとである。本殿は、はじめ亘理伊達氏が 寄進する計画であったが種々の事情から実現せず、氏子や崇敬者 によって建立された。 本殿は、亘理では建築年月のわかる数少ない江戸時代後期の建 物で、彫刻が見事である。 石段の登り口にある鳥居は花崗岩で、様式は明神造りである。 −境内案内より− |
【 安福河伯神社 】