[HOME] > [神社記憶] > [北海道東北地方] > |
|
柳津虚空蔵尊
やないづこくぞうそん
宮城県登米市津山町柳津字大柳津63
鵲の渡せる橋におく霜の 白きを見れば夜ぞ更けにけり
|
||
式内社 陸奥國桃生郡 小鋭神社 |
宮城県登米市にある。
気仙沼線・柳津駅の南3Kmほどの柳津に鎮座。
北上川に沿って45号線を南下すると、
45号線の東側に大きな赤い鳥居が見えてくる。
当寺の正式名は「柳津福智満虚空蔵尊」。
宗教法人としては宝性院というらしい。
つまり、柳津虚空蔵尊は寺なのだが参道に鳥居が立っており、
鳥居扁額には「柳津虚空蔵尊」と書かれている。
鳥居をくぐり500mほど進むと当寺の境内。
境内は大土山の麓にある。
あいにく小雨が降っていたので傘をさしながらの参拝。
境内の参道を歩くと石鳥居があり、その奥に山門。
山門をくぐると緑の多い境内。
寺なんだけど鳥居もあり、
境内には天神堂、稲荷堂、弁財天の小祠などもあって
まるで神社のようだった。
明治の神仏分離までは、神社とお寺の境界は曖昧だったことがわかる。
神亀三年(726)九月、聖武天皇の勅を受けて
行基が東国を巡遊し、当地に来て御修法二十一日間一刀三礼を行って
虚空蔵を刻み、九月十三日、黄土山(大土山)山頂に創立したのが起源。
その後、宝亀二年三月大伴家持が黄土山に登山して、
虚空蔵尊を拝し、福島の会津柳津、山口の柳津の仏像を同じく行基の作であり、
日本三所の秘仏であるとして、33年目毎に開帳するようになったという。
さらに、弘仁九年五月三日、弘法大師が堂に籠り
二十一日間 の密行を勤めた後、大黒天と毘沙門天を刻んで
虚空蔵尊の左右に安置して、黄土山麓の現在地へ移したという。
虚空蔵尊は丑、寅生れの一生一代の守り本尊であり、
境内には撫で牛や寅の像が置かれている。
また、当寺の絵馬には鰻が描かれているが、
鰻は虚空蔵尊のお使いの魚で絶体に殺生しないことになっている。
黄土山(大土山)に鎮座していたという理由により
当寺を、式内社・小鋭(オトノ)神社の古跡であるとする説があるらしい。
境内には、子安観音、子育延命地蔵、弘法大師堂、
薬師堂、弁財天、天神堂などがあり、
本堂左手から370mの位置に奥の院があり、
その参道には稲荷堂などが祀られている。
ただし、参拝日は小雨だったので、僕は奥の院まで登っていない。
また、当寺の七不思議である
玉こぶのけやき、雫の桜、一夜の松、月見の井戸、
片葉のよし、黄土山の黄金水、子育ての松なども境内にあるのだが
全部の写真を撮っていない。
さらに、当社境内入口にある鵲(かささぎ)橋は
百人一首にも詠われた有名な橋なんだそうだが、その写真も無い。
これらの写真は公式サイトに掲載されているので参照して欲しい。
本堂などの幕には桐紋が染められているので
当寺の寺紋は桐紋だとわかるが、
参道の赤い鳥居には桔梗の金飾りが付けられていた。
参道の赤い大鳥居 |
境内参道にも鳥居 | 山門・仁王門 |
境内 |
子育延命地蔵尊 | 子安観音 |
本堂 |
奥の院参道入口 | 本堂 |
天神堂 | 弘法大師堂 |
月見の井戸 | 弁天堂 |
神亀三年(第四十五代聖武天皇)七二六年秋九月行基菩薩勅 を受け東国を巡遊し、この地に来り御修法二十一日間一 刀三礼し、自ら虚空蔵を刻む、その丈一尺二寸もって、 天下泰平、国家安穏を祈り、同月十三日一字を黄土山の 嶺に創立しこれを信心して、一村の守護仏として尊崇した。 後宝亀二年三月大伴家持宮城郡多賀城にありし時登山し て、これを拝して言うに福島の会津柳津山口の柳津に安 置せる仏像も同じく行基の作で日本三所の秘仏である。 かくも尊いものなれば三十三年目毎に開帳する外みだり に衆人これを拝すること恐れありと、其の後弘仁九年(五十 二代嵯峨天皇)五月三日弘法大師此の堂に籠り二十一日間 の密行を勤め、大黒天長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一 尺二寸のものの二体を刻し、もって其の左右に安置し尚 本堂を今の地に移した。 其の後中古に至ってしばしば野火にあいましたが幸にし て本尊の安泰を得、法澄連綿として現在に至っております。 虚空蔵菩薩は丑、寅生れの一生一代の守り本尊であり 鰻は虚空蔵菩薩のお使いの魚で絶体に殺生しないことに なっております。
−境内案内板− |