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岩木山神社
いわきやまじんじゃ
青森県弘前市百沢字寺沢27

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青森県弘前市(旧岩木町)にある。
岩木山(1625m)の南東麓に鎮座。
境内入口が広く、駐車場になってる感じ。
鳥居のから見ると、正面に岩木山山頂が見えるロケーション。
岩木山を目指すように、まっすぐ参道を進むと朱の楼門。
楼門前の石の垣には、柱にしがみつく狛犬が居た。
楼門内正面に中門があり、垣の中に拝殿。
拝殿後方に奥門があり、見事な本殿が鎮座している。
とにかく、鳥居から岩木山方向へ、まっすぐに延びた境内なのだ。
岩木山は津軽地方の何処からでも見ることができる孤立山で、
津軽一帯の信仰の対象。
毎年七月には、「お山参詣」といわれる例大祭が行われ、
多くの人々が、深夜に山頂登拝し、御来光を拝む。
山頂には、岩木山・鳥海山・厳鬼山の3つの峰が「山」の字を形成している。
中央の岩木山山頂には、当社の奥宮が鎮座している。
北から見た岩木山 |
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宝亀十一年(780)、岩木山山頂に社殿を造営。
坂上田村麻呂が延暦十九年(800)に山頂社殿を再建し、
十腰内に、下居宮(おりいのみや=麓宮)を建立して、山頂を奥宮とした。
この下居宮が、現在の厳鬼山神社。
寛治五年(1091)、神託によって、十腰内から、
百の沢を越えて、岩木山東南麓に遷し、百沢寺と称したのが本社の起こり。
『日本の神々』(白水社)に、当社に関する伝説が載っている。
昔、大己貴命(=顯國魂神)が、この地に降臨し、
180人の御子を生み、穀物の種を蒔いて、子遊田と名づけた。
その田の中で、白く光る沼があり、田光沼(たっぴぬま)と言った。
ある時、童女が沼の中から「珠」を見つけ、大己貴命に献上した。
その珠の名を国安珠といい、童女を国安珠姫という。
大己貴命は、国安珠姫を娶り、往来半日(一名洲東王)を生んだという。
村上天皇の御代、丹後由良港の海賊が、その神珠を盗み逃亡した。
郡司の長男・花若麿が、美女に扮して由良港へ行き、これを奪還。
以後、岩木の神が忌み嫌うので、丹後の者が領内に入ると風雨となるという。
さらに、山椒大夫で有名な安寿と厨子王の話。
母と安寿姫、弟の厨子王が、筑紫に配流された父をたずねて旅の途中、
姉弟はだまされて、丹後由良港の山椒大夫に売られてしまうが、
姉弟は、当地津軽へ逃れてきた。
そこで、安寿姫は岩木山の神となったという。
後年、厨子王は都に上り、丹後・越後・佐渡の領主となり、
山椒大夫を罰して仇を討ち、佐渡で盲目となった母と再会する。
ということで、丹後に対する独特の思いが、当地にはあったようだ。
藩政時代にも、突然荒天になると、港役人は、
丹後船や丹後人を詮議し、領外に追放したという。
参道 ![]() | 参道 ![]() | 参道 ![]() |
下り狛? ![]() | 楼門 ![]() | 上り狛? ![]() |
中門と社殿 |
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拝殿 ![]() | 奥門と本殿 ![]() |
本殿 |
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社殿の右手に2つの境内社がある。
白雲神社と稲荷神社。
白雲神社の脇に池があるが、池の中には多くの卵が投げ込まれていた。
龍神(蛇神)への奉納だろうか。
白雲神社 多都比姫神荒魂 ![]() | 稲荷神社 宇賀能賣神荒魂 ![]() |
境内左手から、奥宮への百沢登山道がつづく。
山頂まで4時間15分。
時間と体力がある人は、一度は登ってみると面白いかもしれない。
岩木山山頂地図はこちら →
僕は、当社から西へ6Kmにある岩木スカイラインを利用した。
麓から、単調な九十九折のスカイラインを登ると八合目の駐車場。
そこからロープウェイを利用する。
ロープウェイを降りて、約30分の登山道。
途中急な岩場があるが、足元に気をつけて登ると岩木山山頂へ到着。
奥宮を参拝して下山した。
岩木山ロープウェイ ![]() | 岩場の登山道 ![]() | 山頂石碑 ![]() |
奥宮 ![]() | 奥宮 ![]() |
北門鎮護岩木山神社 当社は昔から「お岩木さま」「お山」と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の神、農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められてまいりました。神山・霊山である岩木山は津軽全土から仰望せられ、人々に慈しみの徳を授けたまい、郷土人の生活と心のよりどころであります。岩木山大神は太古より神霊岩木嶺にお鎮りになられ、今から約1200年前、宝亀11年(780)社殿を山頂に創建したのが当社の起こりであります。 延暦19年(800)征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、別に山麓十腰内の里に下居宮を建立して、山頂を奥宮と称し、寛治5年(1091)神宣により下居宮を現在地に奉遷いたしました。その後、世々の地頭・領主何れもがよく崇敬の赤誠をつくし、江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大造営がおこなわれ、近代には崇敬者の熱意を集めて、建造物、諸施設とも整い、名実ともにその威容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、厚く崇敬されております。大國魂鎮守旧國幣社 −『平成祭データ』− |
