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若宮八幡神社
わかみやはちまんじんじゃ
宮城県大崎市三本木新沼字若宮113  Zenrin Data Com Maps display !!


笹龍胆

旧郷社

御祭神
誉田別尊 大鷦鷯尊 神功皇后
配祀
建御名方命 木花咲耶姫命 武内宿禰命

境内摂社 式内社 陸奥國志太郡 敷玉早御玉神社
敷玉早御玉神社 豊玉姫命 玉依姫命

宮城県大崎市にある。
古川駅の南西5Kmほどの三本木新沼に鎮座。
東北自動車道の西側、鳴瀬川の北岸に境内がある。

境内参道入口は東側。
参道を進むと、参道は右にカーブしているので
境内そのものは南向き。

参道がカーブしている場所に赤い鳥居が建ち、
境内入口にも赤い鳥居。
二つ目の鳥居は両部鳥居だが、扁額が2枚掲げられている。
右の扁額には「敷玉早御玉神社」、
左の扁額には「若宮八幡神社」と書かれている。

鳥居をくぐると正面に社殿があるが
社殿の前には白い鳥居。
拝殿の後方に神明造の本殿がある。

境内の左手に境内社が並んでいるが、
その中で一番大きな社殿が、摂社・敷玉早御玉神社。

参拝は夏の午後。
曇り、ポツポツと雨が降っていた。
雨がおさまるまで、しばらく拝殿の前で蹲っていた。

社伝によると、創建は後鳥羽天皇の御宇文治五年(1189)。
源頼朝が奥州藤原泰衡を平定し凱旋の折り、
敷玉早御玉神社の近地内を清め、
鎌倉鶴岡八幡宮の御分霊を奉齋したのがはじめ。

社殿の建立は、畠山重忠武田太郎の両武将監督のもとに進められ
創建当時の社殿は七間四面・布目瓦葺の社殿で最も荘厳を極めたという。

明治三年(1870)村社に列し、
のち、郷社敷玉早御玉神社を合祀して
昭和十八年(1943)郷社に列した。

その郷社敷玉早御玉神社は、平成三年(1991)に分祀され、
現在は、境内摂社として独立した社殿に祀られている。
式内社・敷玉早御玉神社の論社の一つである古社で、
本社・若宮八幡神社が創建されたのも、
敷玉早御玉神社が鎮座していた地であったからという。
昔は、社殿も焼失し、「敷玉森」という名を止めていただけだったが
文政元年(1818)若宮八幡神社別当第四十代渋谷秀盛が再興した。

両部鳥居の右側に石碑が並び、
中央の石が、祠に祀られている。
石には「藘穂山」と刻まれている石神らしい。

敷玉早御玉神社の右手には、稲荷社と神明社。

本社拝殿前の賽銭箱には、笹竜胆の紋が描かれていた。
境内の案内板によると、本社・若宮八幡神社の神紋は笹竜胆紋、
摂社・敷玉早御玉神社は菊紋のようだ。


参道入口

社号標

敷玉若宮遺跡

参道の鳥居

境内入口

鳥居扁額が二つ

境内

社殿

本殿

境内摂社敷玉早御玉神社

参道脇の石碑

敷玉早御玉神社と末社

若宮八幡神社由緒
本社若宮八幡神社
鎮座地宮城県志田郡三本木町新沼字若宮百拾参番地
御祭神主祭神 第十五代應神天皇(誉田別尊)第十六代仁徳天皇(大鷦鷯尊)神功皇后(息長帯比売命)
配祀神 建御名方命 木花咲耶姫命 武内宿禰命
御由緒 後鳥羽天皇の御宇文治五年(一一八九)鎮守府将軍右大将源頼朝公奥州藤原泰衡を平定し凱旋の折 り敷玉早御玉神社の近地内を清め鎌倉鶴岡八幡宮の御分霊を奉齋し奥羽鎮護の神として創建された 社殿の建立は畠山重忠武田太郎の両武将監督のもとに進められ創建当時の社殿は七間四面・布目瓦 葺の社殿で最も荘厳を極めたという 別当には奥州平定に参加した渋谷荘司重国の子渋谷三郎時国 を剃髪せしめ名を宥全と改め別当寺を建立亀谷山穏城寺と号称 世襲別当とし今日に至る
天正十六年(一五八八)当社別当第二十一代渋谷永豊の時代伊達政宗が大崎氏を攻めるに当たりその 兵燹にかかり社殿・別当寺・僧房悉く灰燼となり一時祭祀も途絶えたこともあったが兵乱が治まり 世が太平に及び社殿を再建立別当も復職し祭祀を再興し社領(旧村十ケ村)も定まり旧に復すこと ができた寛政十三年(一八〇一)別当三十七代渋谷瑞芳のとき先の小社殿を改建更に別当四十一代 渋谷長盛にいたり安政二年(一八五五)九月十九日現社殿落成遷座の盛儀を齋行し今日に及ぶ明治三 年(一八七〇)村社に列しのち郷社敷玉早御玉神社を合祭昭和十八年(一九四三)郷社に列す 現在は 社格は無く諸社と称されている なお旧境内は現堤防の外(現河川敷・奈良平安時代の遺跡が包含され ている)にあり大正三年(一九一四)鳴瀬川河川改修に伴い現境内(旧別当寺跡)に移転し今日に至る
摂 社
延喜式内社
敷玉早御玉神社
御祭神豊玉姫命 玉依姫命
御由緒 第十二代景行天皇十二年(八三)皇子日本武尊東夷征討し凱旋の折り征途の途中荒狂う海で后弟橘媛 が海神の怒りを鎮めんとして海中に身を投じ尊が無事相模灘を渡られたことに思いをいたし慰霊の思 召しにより海神である二柱の神を祀り建立された神社で延喜式神名帳(九〇五)に名神小社として 登載されている延喜式内の神社である後寶亀十一年(七八〇)藤原小黒丸により戦勝を感謝し社殿を 再建立したが天正年中の兵乱により若山八幡神社とともに焼失し以後社殿の建立がなく「敷玉森」と してその名を止めていたがその滅失を憂い文政元年(一八一八)別当第四十代渋谷秀盛が社名と縁起 を刻し石碑を建立した現在敷玉社本殿に奉齋され若宮と同時に祭祀がおこなわれている この神社 が奉齋されてあったことが此地に若宮八幡神社が創建奉齋される動機となったと伝えられている 所謂此地の先覚神ともいえる明治五年(一八七二)郷社に列し明治三十八年(一九〇五)社殿再建立 の計画を願い出たが実現できなかった昭和十八年(一九四三)に若宮八幡神社に合祀されてあったが 歴史現在社の消滅する事を憂い平成三年(一九九一)今上天皇御即位の佳年を機に再び分祀攝社と して奉齋 光輝ある歴史を永劫に傳えることとした
祭 日春季例祭 旧四月十五日  秋季例祭 旧九月十九日
(旧九月十八日前夜祭には特殊神事湯花神事が行われる・宮城県祭調査に登載)
文化財湯花神事(三本木町無形文化財・昭和五十四年指定第一号)
中世結衆板碑・元亨二年(一三二二)銘(三本木町有形文化財平成五年指定第一号)
境内社神明社 稲荷明神社 藘穂山(石神)高倉招魂社

−境内案内板−



【 若宮八幡神社 (大崎市) 】

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