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石神山精神社
いわかみやまずみじんじゃ
宮城県黒川郡大和町吉田字麓71

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式内社 陸奥國黒川郡 石神山精神社 |
宮城県大和町にある。
仙台方面から4号線を北上し、
大和町に入ってすぐ、吉田川を渡って、左折(西行)。
4Kmほど進んで、七つ森方面へ南下し、再度吉田川を越えた場所。
赤い鳥居から階段の参道を少し登ると、
木々の奥に拝殿が見える。
拝殿の後方に、やや斜めになった杉の大木がある。
拝殿の後ろに回ると、その大木の陰に本殿が鎮座している。
本殿の左手には、巨大な屏風岩。
石と木の神なのだと、直感する。
明治以前は、石神大明神と称していた。
通称は「館(タテ)神社」と呼ばれているが、
境内入口周囲に、入生田氏の居館跡があるため。
当社の由緒は不詳だが、坂上田村麿の勧請との説もあり、
本殿前の杉は、田村麿御手植だと伝えられている。
『黒川郡誌』には、当社は往古、
「この地を去ること数町なる石神澤」に鎮座していたとの伝承があるらしい。
また、『大和町史』では、遂倉山が本社の奥宮だとの伝承もあるらしい。
入口の鳥居 両脇に「山神」「太神宮」の石碑 |
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参道階段 ![]() | 参道鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
拝殿。後方に木が見える |
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本殿 ![]() | 拝殿前から見えた大木が前に聳え、 左手に屏風岩 ![]() |
御祭神、大山祇神。 配祀・大国主神・事代主神・保食神・奥津彦神・奥津姫神 当社の創建は不詳であるが、その歴史は古い。続日本紀第五十代桓武天皇延暦九年十 一月丁亥陸奥国黒川郡石神山精社官社に進めたと記され、神徳の高く大和朝廷の信厚 く、降って文徳実録に仁寿二年八月辛酉神階従五位下を授かる。続く第六十代醍醐天 皇五年丁亥に成る延喜式神名帳に、陸奥国一百座黒川郡四座の一に見られる社である 。県内における唯一官社に列したことを記録から確認される神社であり、各時代の地 頭の尊崇が厚く、社名の示すごとく巨大な岩石に神霊の存在を認め祀った古代祭祀、 信仰の姿を伝えている。社殿前の古杉は鎮守府将軍坂上田村麻呂の御手植の杉と伝え られ、囲七米余り、御神木として信仰されている。 −『平成祭データCD』− |
【 石神山精神社 】
