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物部神社
もののべじんじゃ
新潟県上越市清里区南田中564,565
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式内社 越後國頸城郡 物部神社 |
清里村(現上越市)、南田中の広い田畑の端の空き地にある。
社殿は無く、アパートの公園の一角に不自然に石祠。
境域は整備されており、雑草等で見苦しい状態ではない。
東へ行けば菅原神社の丘(写真の左奥の丘)がある。
和名抄の物部郷、隣が武士(もののふ)集落だったらしい。
社伝によると持統天皇十年(696)の創祀。
式内社・物部神社に比定される古社。
以前は、南田中の山王北屋敷という場所にあったが、
昭和四十六年四月、圃場整備事業のため、現在地に遷座。
社名は、明治十六年七月『神社明細帳』では日吉社。
今日は日吉神社と呼ぶと、『式内社調査報告』にあるが、
鳥居の額に物部神社とあるので、
当サイトでは物部神社としておいた。
他には山王権現・物部明神・田中神社とも称するらしい。
境内 | 鳥居 |
宝筐印塔と五輪塔 と 石祠 と 稲荷社 |
『神社明細帳』によると、持統天皇十年(六九
六)創立と傳へる。物部氏の頸城郡進出の一大據點となつ
たが、中世以降社運衰微し、史料・記録も逸亡し、文献に
その名さへとどめなくなつてしまつた。 明治十六年の『神社明細帳』では、無格社であつた。神 社の裏に經塚があり、その上に寶篋印塔が一基あつた。今 日、新社地に移してある。昭和四十六年四月、圃場整備事 業のため、現在地に遷座する際、直刀、五輪塔が出土した といふ。五輪塔一基は現社地に移してある。 −『式内社調査報告』− |
【 物部神社 (上越市) 】