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粟狹神社
あわさじんじゃ
長野県千曲市大字粟佐字宮内宮浦1324  Zenrin Data Com Maps display !!


立梶の葉

式内社 信濃國埴科郡 粟狭神社
旧郷社

御祭神
健御名方命 配祀 事代主命 少彦名命

長野県千曲市(旧更埴市)にある。
屋代駅の北西2Kmほどの町の中に南向きに鎮座。
近くには千曲川が流れている場所。

参道には、欅の巨木があり、
「すごいねぇ」などと思いながら歩いて見ると、裏側は空洞だった。
これもまた「すごい」です。
何かがこもっていそうな雰囲気。
夜になると、ちょっと近づくのは怖いです。

創立年代は不詳。
一説には垂仁天皇の御代の創祀。

式内社・粟狭神社に比定されている古社。
船山郷九ヶ村の総社である。

本殿の隣りに、旧本殿が並んで鎮座している。

案内板によると、七年に一度の御柱祭があるそうだが、
御柱には気づかなかった。
参道の欅に、意識が向いていたからだろうか。

社殿の左側には境内社が並んでいる。
養蚕社、秋葉社、天神社、荒神社、鹿島社、大己貴社、琴平社。


社号標

鳥居

参道と欅の木

境内

拝殿

本殿と旧本殿が並んでいる

本殿

旧本殿

境内社
養蚕社、秋葉社、天神社、荒神社、鹿島社、大己貴社、琴平社

粟狭神社
祭神 建御名方命
事代主命
少彦名命
由緒
 往古の鎮座にして創立勧請の年月は 不詳であるが 延喜年中(九一〇)に 埴科郡五座の筆頭をもって神名帳に記 載された延喜式内の名社である。
船山郷を含む近郷にわたる総社であり 郷民の崇敬は厚く 大領の時代は祈願 所として尊崇を受け 代々の領主より は 祭典料の寄進があった。
七年に一度の御柱大祭を斉行するを例 とし船山郷(杭瀬下・新田・鋳物師屋 ・寂蒔・内川・打沢・小島・桜堂・粟 佐)の九ヶ村にて執り行って来た。
境内は古木多く古社の姿を観し 旧本 殿は 正応年間(一二八八)以前の建 造物であり 本殿は慶応二年(一八六 六)の御造営である。

粟狭神社本殿
 この本殿は総欅の素木に よる生木を生かした建築彫 刻で 建築形式は唐破風を 配した一間社流れ造りにな っている。文久三年(一八 六三)八月に起工し慶応二 年(一八六六)三月に落成 した。
 工匠は妻科出身の池田文 四郎で 彼は当時盛んにな った立川流建築を 諏訪の 名匠 立川和四郎富昌に二 十一歳の頃より学び 晩年 は立川姓の名跡を許された。
 この本殿は文四郎三十九 歳の作で 繊細流麗な彫刻 はより一段と本殿の荘厳さ をひき立たせている。

粟狭神社旧本殿
 古本殿 権殿・宝蔵と も言われ 現本殿が御造 営されるとともに この 地に移された。
建築年代は 正応年中( 一二八八)再興と棟側の 鬼面に墨書され鎌倉時代 である。
御修造を加えたといえど も旧観を保っており そ の工法は工匠の驚く処で あり貴重な文化財建築で ある。

−境内案内−




【 粟狭神社 粟狹神社 】

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