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宇波刀神社
うわとじんじゃ
山梨県甲府市宮原町1265  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社
旧郷社

御祭神
應神天皇 仲哀天皇 神功皇后

山梨県甲府市にある。
甲府駅の南6Kmほどの宮原に鎮座。
荒川に沿って358号線を南下し、
万才橋付近で29号線へ入り、西へ1.5Km。
道路の西側に境内がある。

比較的新しい白い鳥居をくぐると神門。
神門をくぐると境内。
境内の左手には公共施設(公民館)があり
ちょっとしたグランドになっている様子。

神門の正面には、社殿。
境内右手には、木々の茂った林がある。
砂利が敷詰められた境内は、
木々の刈り込みを行き届いて清潔な雰囲気。
街中にある神社らしい神社だ。

社伝によると、
堀内天皇寛治年中、新羅三郎義光の勧請。
保元元年鎌田兵衛尉正清の再建。

その後、永仁三年、享徳四年、大永六年、天文五年、
慶長九・十・十一年、寛文四年・十年に改築された。

『甲斐国志』に
「八幡宮 宮原村 鎌田總社 宇波刀神社」
とあり、
別称、八幡宮と呼ばれ、祭神は八幡の神々。

式内社・宇波刀神社の論社の一つなのだが
十世紀の延喜式に名が残るということは、
社伝にある寛治年中(十一世紀)の勧請と合わない。

これは、中世甲斐源氏の興隆により、
宇波刀神社の上に、八幡宮が勧請されたということだろうか。

あるいは、八幡宮であり当地の総社として
周辺の神々を勧請し、その中に宇波刀神社が含まれていたか。

境内右手の林の中に、小さな石祠が祀られている。
詳細は不明だが、『明治神社誌料』には境内社として
大神社、義清社の名前が載っている。


鳥居

神門

境内

社殿

拝殿

本殿

社殿右手の林

市指定有形文化財
宇波刀神社神像群
所 在甲府市宮原町一二六五番地
所有者宇波刀神社
指定年月日平成十三年三月三日
 男神立像、女神立像、男神坐像(以下平安 時代)、男神坐像(鎌倉時代)、男神坐像(室町時 代)、武装形神像(平安時代)、随神坐像(二躯、 室町時代)の計八躯が安置される。
 男神立像と女神立像は、像高や目の表現に 共通性があり、一対で制作されたと推定され る。平安時代まで遡る女神像は県内では珍し い。また、武装形神像は、その力強い表現に 古様が感じられ、十世紀の制作と推定できる。
 宇波刀神社は、『甲斐国志』に十一世紀末に 新羅三郎義光が建立し、保元元年(一一五六) に鎌田兵衛尉正清が再建したと伝えられる。
 近世には鎌田十二カ村(宮原・堀内・高室・ 関口・古市場・円満寺・窪中島・極楽寺・中盾・ 西新居・紙漉・阿原・押越)の総鎮守であった。
 これらの神像は、平安時代から室町時代に至 る歴史を伝える貴重な史料である。

−境内案内板−



【 宇波刀神社 (甲府市) 】

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