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安布知神社
あふちじんじゃ
長野県下伊那郡阿智村大字駒馬字清坂2079  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 信濃國伊那郡 阿智神社
旧郷社

御祭神
天思兼命
相殿
誉田別尊(八幡大神) 須佐之男命(新羅明神)

長野県の阿智村にある。
阿智町役場の北500mほどの駒馬に鎮座。
153号線から北へ入り、小学校の脇の道を進むと参道入口。
鳥居の右手に「郷社安布知神社」と刻まれた社号標が立っており、
鳥居をくぐり、なだらかな参道を上ると社域の杜。
境内の後方には中央自動車道が走っている、そんな場所。

参拝は晩秋の日の早朝。日の出前。
写真ではわかりにくいが、まだ薄暗い境内には多くの紅葉の落ち葉。

境内左手の駐車場に車を停め、境内に入り階段を上ると正面に社殿。
入母屋造の拝殿の後方、一段高く流造の本殿があるが、
本殿は覆屋の中で、細部は確認できなかった。

参道入口に「武田信玄公火葬塚 入口」という案内板が置かれていた。
境内の右手の道を上って行くと、武田信玄が火葬されたと伝えられる塚があるらしい。
信玄の墓は甲府市内にあるが、信玄の死は秘されていたためか、
信玄が死亡し荼毘に付されたと伝えられる場所がいくつかあるようで、ここもその一つなのだろう。
参拝を終えて、右手の道を上って行き、高速道路の下を通ってさらに上ってみたが見当たらず。
もう少し上って確認するつもりだったけど、急にトイレに行きたくなり、
社前の公衆トイレまで急いで戻ったので、火葬塚には行っていない。
このページを作成している今、もう一度戻って行けば良かったと後悔している。

創祀年代は不詳。『式内社調査報告』によると式内社・阿智神社の論社であるらしい。

社伝によると、人皇十六代仁徳天皇五十六年、この地の地主神が明灯山に夜光となって現われ、
山の枯木の元を掘れとのお告げにより掘ったところ、八花鏡を見いだし、
この鏡を御霊代として祠を建てて祀ったのが当神社の創祀。

祭神は天思兼命。
『先代旧事本紀』によると、天思兼命とその子・天表春命は共に信濃国に天降り、
阿智祝部等の祖となったと記されており、
昼神の阿智神社同様、秦氏あるいは阿知使主一族などの帰化人系により奉祀された天孫系の神社。

慶雲三年(706)八幡大神を勧請して相殿に祀り、
さらに、天正元年(1573)松尾城主小笠原信貴が甲斐源氏の遠祖のゆかりの
新羅明神を近江国三井寺から勧請した。
また、明灯山の奥の院には日之御子大明神が祀られているらしい。
明灯山の位置は確認していないが、当社背後の山のことだろうか。

本殿の右手に境内社の祠が並んでいる。
左端から、今宮八幡社。
少し離れて、諏訪社・皇太神社、秋葉社・稲荷社、
日之御子社・津島社、白鬚社・妙義社と並んでいる。
また、その後方や、境内右手参道にはいくつかの石祠や石碑、サカキなどが並んでいる。

当社の神紋については確認できていない。
社殿の屋根に、いくつかの紋が付けられていたのだが、
早朝曇天で薄暗い境内で、はっきり確認できなかった。
一応写真には撮って来たけれど、やはり手ぶれしていて判別出来なかった。


社頭

鳥居と参道

社域

境内

慰霊碑

拝殿

社殿

本殿覆屋と境内社

石祠と石碑

安布知神社
御祭神
天思兼命(あめのおもいかねのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)
誉田別尊(ほんだわけのみこと)
由緒
 社伝によれば、人皇十六代仁徳天皇五十六年、この地の地主神が 明灯山に夜光となって現われ、山の枯木の元を掘れとのお告げによ り掘ったところ、八花鏡を見いだし、この鏡を御霊代として祠(ほ こら)を建てて祭ったのが当神社の創建といわれている。
 天思兼命は、高天原で最も智慮の優れた神として、古事記・日本 書紀に記されているが、平安時代の史書「先代旧事本紀(せんだい くじほんぎ)」に、天思兼命とその子天表春命(あめのうわはるのみ こと)は共に信濃国に天降り、阿智祝部(あちのはふりべ=阿智の 神事を司る神主)等の祖となったと記され、古代の伊那谷西南部一 帯を開拓した天孫系の神で、昼神に鎮座する阿智神社の御祭神と同 一で両社は古くより密接な関係があり、北信の戸隠神社とも因縁が 深い。
 またこの地は、古代東山道の阿智駅(あちのうまや)がおかれた ところで、駅馬三十頭をおいて険難な神坂峠に備えた阿智駅の守護 神として、当社は重要な位置を占めている。
 慶雲三年(七〇六)八幡大神を勧請して相殿に祭り、また天正元 年(一五七三)松尾城主小笠原信貴は甲斐源氏の遠祖のゆかりの新 羅明神を近江国三井寺から勧請して、三間社流れ造り、間口十八尺 奥行九尺の善美を尽くした神殿を造営し、天思兼命を主神に、八幡 神・新羅明神を相殿に奉祭し、日之御子大明神を明灯山に勧請した。
 その後寛文十一年(一七七一)駒場上町の領主宮崎太郎左衛門公 重により規模様式共に天正のままの社殿を再建したのが現存する本 殿で、正面の金柱、欄間の彩色等に造営当時の華麗さをしのぶこと ができる。なお、拝殿は延宝三年(一五七五)神主林杢太夫の建立 で、境内のヒイラギ・サカキと共に村指定文化財である。
 また江戸時代は徳川幕府から朱印領十石が寄進され、慶安二年(一 六四九)徳川家光以来幕末まで九通の朱印状が現存する。
主な恒例祭典
元旦祭 一月一日午前六時
厄除・交通安全祈願祭・勧学祭 一月第二日曜日
入学祭 四月三日
風祭 八月二十九日
例祭 四月十六日(祈年祭)、十月八日
新嘗祭 十一月二十五日
大祓 六月三十日、十二月二十七日
除夜祭 十二月三十一日

−社頭案内板−



【 安布知神社 (阿智村) 】

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