[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
金櫻神社
かなざくらじんじゃ
山梨県甲府市御岳町2347
|
|||
甲府市御岳にある。
甲府駅の北、直線で10Kmほどの山中。
昇仙峡からも近い。
鳥居から石段の参道を登ると、広い境内だが、
社殿のすぐ横に駐車場がある。
ということで、駐車場に車を置き、一度参道を下って再度参拝した。
第十代崇神天皇の御代、各地に疫病が蔓延した時に、
各地に神を祀った、その一つ。
甲斐国の金峯山山頂に少彦名命を祀ったのが当社の起源。
ゆえに、金峯山山頂に奥宮があり、当社は里宮にあたる。
式内・金櫻神社の論社は幾つか存在し、
いづれも金峯山奥宮の里宮という位置づけになっている。
信仰対象となり得る霊山への登り口には、
それぞれに里宮を祀ることが多いし、
その、いづれが真の式内社であるか、判定は難しい。
すべてが、そであるとも、あるいは、山頂以外はすべて、違うとも思える。
金櫻神社社名の由来は、
「以金為神 かねをもってかみとなし 以櫻為霊 さくらをもってれいとなす」
当地は、「日本三御嶽 三大霊場」だということらしい。
また、日本水晶発祥の地でもあるらしい。
神宝は、昇仙峡で採取された水晶から作られた「火の玉・水の玉」
社殿は、鎌倉時代の様式で、戦前は国宝だったが、
焼失し、今は復元されている。
本殿には、左甚五郎作といわれる昇龍・降龍もあったようだが、残念だ。
朱の鳥居をくぐり、参道の石段を登る。
参道からは、横向きの社殿は、美しい朱色。
だが、本殿は少し暗い赤色だ。
参道入口の鳥居 | 参道の鳥居 |
拝殿 |
社殿 | 拝殿 |
本殿の両脇には、復元された昇龍・降龍の彫刻がある。
昇龍 | 本殿 | 降龍 |
境内の隅に、招福大黒天が祀られているのだが、
その彫刻は、やや不気味な笑みをたたえていた。
神木・鬱金(うこん)の桜 | 家康が腰掛けた石 | 招福大黒天 |
道祖神 | 参道 | 水・稲荷・秋葉 |
第十代崇神天皇の御代(約二千年前)各地に疫病蔓延し 天皇 深く憂慮され諸国に神祇を祀って悪病退散萬民息災を祈願せしめられる この時、甲斐国では金峰山(北方約三十キロ)山頂に少彦名命を祀られたのが当社 の起源である。其の後第十二代景行天皇の御代日本武尊命が東国巡行の 際詣でられて、大己貴命と須佐之男命を合祀され後に之を奥宮とし現在 の地に里宮として金櫻神社を創建された。更に奈良朝第四十二代文武天皇 二年(約一千三百年前)大和国金峰山より蔵王権現を勧請し、神佛両道と なり別当以下神官、僧侶百余名が常時奉仕し、頗る盛大を極める 以金為神 以桜為霊 − 金櫻神社々名の起源となる 東国の名社として関東全域を始め越後佐渡、信濃、駿河に迄其の御神徳は 及び、各国の領主、武将の崇敬も篤く、寄進された社殿は実に、 壮観を極め鎌倉時代の建造物は国の重要文化財に指定され、左甚五郎 作の昇り龍、降り龍の彫刻類は稀にみる貴重な文化財であった。 古くから日本水晶の発祥の地として火の玉・水の玉のご神宝と金の成る木と 言われる神木、鬱金の櫻は生涯守の水晶のお守りと併せ特に有名である 日本渓谷美第一位の昇仙峡の景観と共に名実共に関東の大社であ った境内は千古の老杉、巨木、枝を交え社有林三千町歩、秀峰奇 岩屹立し、全山樹木に覆われて、真に仙境の感があった。
−境内案内板より− |
【 金桜神社 金櫻神社 (御岳) 】