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諏訪神社
すわじんじゃ
長野県佐久市大字横根字十二平1154

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旧郷社 |
長野県佐久市にある。
佐久平駅の北東4.5Kmほどの横根に鎮座。
156線を東へ進み、上越道を通過して1Kmほどで西へ入る。
156号線と湯川の中間あたりに境内がある。
境内入口は道路に面して西向き。
数段の階段を上ると「郷社諏訪神社」と刻まれた社号標と鳥居。
鳥居をくぐり少し進むと、参道は左手に折れ、そこにも鳥居。
そこから参道を北上すると、参道右手に横根児童遊園。正面に社殿がある。
社殿の前にも鳥居が立っており、奥に切妻造の拝殿。
拝殿の後方の本殿は覆屋根の下にあり、横から見ると流造だとわかる。
鬱蒼というほどではないが、参道には太い木々が立ち、
木々や参道、石碑などはほどよく苔生した静かな神社。
そのため参道脇にいくつか立っている石碑はよく読めなかった。
創祀年代は不詳。
口碑によると後鳥羽天皇文治元年(1185)の創祀。
一説には建久年中(1190−1199)の創祀であるとも。
当時、十二大明神と称され、小柴の仮屋に奉斎されていたが、
後、守護職小笠原長清の一子・横根法眼という者がこの地に来て、
当社の霊験に感じ、祭祀の中絶を憂いて、建久年中に石祠に改造し拝殿を建立したという。
後、東山天皇元禄三年(1690)社殿を改修。
嘉永六年(1853)規模を拡張し、明治六年郷社に列した。
明治三十三年、諏訪大社より、古代の分社である縁故により神宝の分与を受けたという。
祭神は御穗須須美命。
『出雲風土記』に所造天下大神と奴奈宜波比売命との子とある神で、
建御名方神と同じ神だと考えられている。
鎮座地の小字が十二平といい、昔は十二大明神と呼ばれていたというのはどういう意味だろう。
訪神の御子神は一般に十三柱と考えられており、
諏訪近辺では、建御名方神と妃・八坂刀賣神を合わせて十五社という社が多いのだが。
十二所権現とも呼ばれる熊野と何か関係があるのだろうか。
拝殿の屋根瓦に梶紋が付けられていたが、手水鉢には横木瓜紋が刻まれていた。
諏訪神社なので梶紋が当社の神紋だと思うが、確認出来なかったので両方の紋を載せておく。
社頭 |
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社号標と鳥居 ![]() | 参道と鳥居 ![]() |
参道 |
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境内 |
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拝殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿覆屋根 ![]() | 流造本殿 ![]() |
