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象山神社
ぞうざんじんじゃ
長野県長野市松代町松代1502  Zenrin Data Com Maps display !!
折にあへば 散るもめでたし山ざくら めづるは花のさかりのみかは

丸の内に
三引両

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旧県社

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御祭神
佐久間象山

長野県長野市にある。
上信越道・長野I.C.の南2.5Kmほどの松代町松代に鎮座。
境内入口は南向き。
木造の大鳥居の左手に、馬に乗った祭神・佐久間象山の像がある。

鳥居をくぐり参道に入ると、
参道の左手に象山生誕の地である県史跡の佐久間象山宅跡がある。

参道を進むと正面の社殿。
入母屋造拝殿の後方に流造の本殿。

拝殿の右前には御神木のイロハモミジ。
当地は以前、松代初代藩主真田信之の寵臣で
信之に殉死した鈴木右近忠重の子孫の屋敷跡があった場所だが
その庭にあった木だそうだ。

境内右手には長野市指定文化財の高義亭。
松代藩家老望月主水貫恕の下屋敷にあったものを移築したもの。
佐久間象山がしばしば利用していた建物らしい。

今年(2011年)に放映された「JIN-仁」というドラマに
佐久間象山が登場していたのを見た。
そういえば、彼を祀った神社が松代にあったなぁと思い出し
調べると、今年は象山生誕200年の記念の年。
ということで、参拝して来た。

大正二年、象山殉難五十年祭を契機に神社建立が計画され
昭和十三年に県社として創建された新しい神社。

祭神は幕末の大先覚者・佐久間象山。
「しょうざん」あるいは「ぞうざん」とも呼ばれているが本名は修理。

文化八年(1811)二月十一日、現在の長野市松代町有楽町に生まれ、
幼名を啓之助、長じて啓(ひらき)と称し、
後に名は修理と改め、象山の号を二十六歳の頃から用いたらしい。

父は松代藩の祐筆。
天保四年(1833)に江戸へ出て佐藤一斎の塾に入り、3年後に帰藩。
天保十年(1839)江戸にて私塾・象山書院を開き、多くの門弟を指導。

老中となった藩主真田幸貫より海外事情の研究を命じられ
天保十三年(1842)「海防八策」を上書。

安政元年(1854)吉田松陰の密航事件に連座して松代に蟄居。
元治元年(1864)幕府の命で京へ上り尊皇開国論を主張。
京にて尊皇攘夷派によって暗殺された。

佐久間象山は、科学者でもあったようで、
ガラス製造を試み、大砲を自作した。
また、自作の電線を造り、電信機を試作して、
松代藩鐘楼より70m離れた御使者屋との交信に成功した
日本で最初の電信開発者。
さらに、地震予知器も作ったらしい。

参道には幾つかの石碑が立っている。

まず、象山の著作「省諐(せいけん)録」の一文の石碑。

余年二十以後即ち匹夫も一国に繋りあるを知り
三十以後即ち天下に繋りあるを知り
四十以後は即ち五世界に繋りあるを知る

四十四歳の時の言葉で、
一国とは藩、天下とは日本国、五世界とは全世界の意味。

次に「桜賦」。
象山五十歳の春の作と伝えられ
桜に例えて開国を論じた名文。

最後に「望岳賦」。
三十一歳の時の詩で
富士山に例えて自分自身の理想と抱負を歌ったもの。

当社の神紋は、佐久間象山の家紋・三引両。


社頭

鳥居脇の佐久間象山像

鳥居

参道脇に佐久間象山生誕の地

参道

境内右手の高義亭

境内

拝殿

本殿

「省諐録」の石碑

桜賦石碑

望岳賦石碑

社殿と神木

御祭神 佐久間象山について
 幕末の大先覚者である。
 松代藩主佐久間一学の長男として文化八年(一八一一)に生まれる。 六才の時から父や鎌原桐山・活文禅師などから学問・武術を習い、 二十才で詩文・経書・武術等免許される程の秀才であった。
 二十三才江戸佐藤一斎の塾に入門、渡辺崋山・藤田東湖等と親交。 三年で帰藩し、藩の子弟に経書や漢学を教える。この頃名を修理、 号を象山と改める。
 二十九才江戸お玉ヶ池に象山書院を開き、多くの門弟を集める。 藩主幸貫老中で海防掛の時、海防八策を幕府に上申する。
 三十六才帰藩し、湯田中・沓野・佐野(志賀高原)の利用係として 開発に努力、又大砲・電信機等の製作・実演する。
 四十一才江戸木挽町に塾を開き、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰・ 橋本佐内など維新の英才を輩出。ペリー来航国論沸騰の際、 軍議役として横浜警備に当る。開国論を唱え横浜開港を主張する。 松陰密航事件に連座して投獄される。
 四十四才から九年間松代に蟄居される。この間高杉晋作・久坂玄瑞・ 山形平蔵・中岡慎太郎・石黒忠悳らが面会に訪れ、時世について、 激論、象山の学識に感動して去る。
 五十四才元治元年(一八六四)幕府の命で京都へ上る。将軍家茂・ 一橋慶喜・山階宮。中川宮に公武合体開国を説いて活躍中七月十一日 三条木屋町で尊攘派の凶刃にたおれ、尊皇開国の捨石となって 非業の最後を遂げる。
 その後四年にして明治維新の世を迎え、象山の尊皇開国という 憂国の至情がそのまま具現されたのであった。

 大正二年象山殉難五十年祭を契機に、元大審院長横田秀雄博士 の主唱で、神社建立の計画が進められ、地元をはじめ県下全市町村 及び信濃教育会・全学校・全国関係者の協力によって、昭和十三年 十一月三日県社として創建された。

−境内案内板−



【 象山神社 (松代町) 】

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