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物部神社
もののべじんじゃ
新潟県柏崎市西山町二田602

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式内社 越後國三嶋郡 物部神社 |
旧西山町役場の近く。116号線礼拝の交差点から東へ入る。
境内では近くの老人が集まって、ゲートボールの最中。
参拝していると、物珍しげ。
一人の方が、イロイロと案内してくれた。
子供の頃からの氏子だということだ。
他のおばさんも、「中も見て行き」と拝殿を開ける。
「写真撮ったろか?」と云われたが、「イエイエ」と遠慮した。
参拝を終え境内を出ようとすると、名残惜しそうに手を振っている。
神社って、こういう場所なんだよなぁ、と思った。
社伝によると、天孫降臨の後、
当社祭神・二田天物部命は、天香山命とともに当地に来臨。
その上陸の地を天瀬(尼瀬)という。
居るべき地を求めていた時に、多岐佐加の二田を献上する者あり、
その里に家居したという。
後、当地で薨じ、二田土生田山の高陵に葬られた。
崇神天皇の御宇、十二世の裔孫・物部稚櫻命、
神託により御社を石地より南大崎の浦に遷し、
その着船の山を船岡山という。
後、推古天皇の御宇、託宣があって二田亀岡山の中腹に遷座。
神亀年間には土生田岡へ、弘仁年間には亀岡山山頂へ遷座。
天仁元年(1108)、亀岡山の麓の現在地へ遷座された。
式内社・物部神社に比定されている古社。
明治四年十二月村社に列し、大正十二年十一月二十六日県社に昇格した。
天領だったため、社紋は葵。
東に3Km、滝沢山山上に二田城址があり、中腹に奥宮があった。
本殿は室町時代三間社流造。幣殿・向拝は後世に補われたもの。
同じく室町の木像の狛犬が県指定文化財だが、見当たらず。
庫にでも安置されているのだろうか。
境内入口の鳥居 ![]() | 参道鳥居 ![]() |
拝殿 ![]() | 拝殿内部 ![]() |
社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
本殿 |
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二田物部神社は延喜式内社で大和朝廷より越後の国に弥彦の神様とともに使わされた
二田天物部命を奉る古い神社であります。 越後二の宮の称号を与えられるなど江戸時代には越後十八社の一つに数えられ越後の 人々の信仰を集めてきた名祠で、戦国時代の武将の領地の寄進や朱印状、起請文(神仏に 自分の言動に偽りのないことを誓ったもの)にも弥彦神社とともにその名がよく見られる。 今から二〇〇〇有余年前の大崎浦にみやしろを建てた時から今日まで連綿として歴史を刻 んでおります。 −由緒書きより− |
