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桐原石部神社
きりはらいそべじんじゃ
新潟県長岡市上桐シデノ木2169
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式内社 越後國古志郡 桐原石部神社 |
桐原駅と小島谷駅の中間。116号線横の丘の上にある。
116号線から左折し、丘の裏に回り込めば入口。
丘の入口から見上げると、ちょっと怪しげな雰囲気だ。
拝殿の後ろにある本殿の屋根は美しいフォルム。鳥居の赤がクドイのが残念。
で、その本殿の後方、斜面の上にも本殿らしき社殿が
覆屋の中に納まっている。
当社には二つ本殿があるのか、
あるいは拝殿後方の社殿は本殿ではないのだろうか。
あるいは、斜面上の社殿は境内社だろうか。
下桐の同名社と同じく式内社・桐原石部神社の論社。
祭神も同じく天日方奇日方命。
大物主命の御子神で、石部公の祖神。
神武天皇の御代、食国政申大夫を務め、
蝦夷征伐の勅命を受けて当地にお出でになったという。
入口と参道 |
社号標 | 参道 | 鳥居扁額 |
社殿 |
境内社? | 本殿?幣殿? |
後方斜面上にも本殿? | 本殿?境内社? |
天日方奇日方命は、『姓氏録』に「石部公、大
物主命子久斯比賀多命之後也」とあり、(中略)
『越後名
寄』『北越略風土記』に「三島郡之内上桐村、下桐村ト云
フアリ、其下桐村ニ申伝ヘル桐原石部大明神之神地有之、
延喜式内神名帳之神也ト、又往古右両村ノ前面原野ナリ、
故ニ上桐原村、下桐原村ト号ケルトカヤ、其地皆水田トナ
リテ原野ナシ、故ニ村名ノ原ノ字ヲ除キ捨シニヤ、今古志
郡ノ間三里計隔レリ、古昔ハ此邊迄古志郡ナリ」といふ。 『越後野志』(文化)、『越後國式内神社考證』 『北越略風土記』(文政)『北越雑記』(幕末)および『特 撰神名牒』の諸書いづれも下桐の社をあげてをり、『大日 本地名辞書』は、「上桐にも石部神社あれど、下桐を本元 とするか」としてゐる。 −『式内社調査報告』− |
【 桐原石部神社 (上桐) 】