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菅原神社
すがわらじんじゃ
新潟県上越市清里区菅原108
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式内社 越後國頸城郡 菅原神社 |
清里村(現上越市)にある。広い田畑の中にある丘の上。
古墳群があり、有名らしい。
参拝時には雨だったが、境内は広く、清々しい。
明治十六年の『神社明細帳』では、天武三年(675)の創祀。
『菅原神社取調書』では、文武天皇(699)の創祀。
いずれにしろ、式内社・菅原神社に比定されている古社。
元来「菅原神社」と菅原道真とは無関係なのだが、
社伝によると、菅原道真の御子・菅原道雄が郡司として越後に来られ
当社の祝を兼務したことから、菅原天神と称されるようになったという。
明治五年三月、火災により焼失したが再建され
同年、郷社に列し、昭和十八年七月県社に昇格した。
明治四十一年に大字岡峰新田の熊野神社を、
大正元年に大字荒牧の十二社、八社を合祀した。
無人の境内だったが、拝殿に由緒書きが置いてあった。
境内には前方後円の古墳がある。
昔は、丘上に108基の円墳があったらしい。
本殿は神明造で、周囲に柵があるが、じっくり鑑賞できる。
参道脇に小さな石祠があり、
境内には立派な構えの境内社が一つあるが招魂社だろうか。
雨の参拝だったので、他にも見落としがあるかもしれない。
『式内社調査報告』には、境内社として稲荷社と諏訪社の名が載っている。
鳥居 | 参道の石祠 |
境内 |
鳥居と社殿 | 社殿 |
拝殿 | 本殿 |
縄文時代の炉跡 | 立派な境内社、招魂社? |
菅原古墳(前方後円) |
菅原神社は清里村大字菅原字天神林に
在り、本殿・幣殿・拝殿とも、神明造の
社殿である。 創立は天武三年(六七五年)にし て延喜式神名帳に越後国頸城郡十三座の 一つとして登載され、古くより菅原天神 と崇められている。 貞治五年領主上杉左近将監より黒印地 二百石を付与される。 天正年間に雷火により消失、再建。 明治五年三月消失、再建。 明治五年郷社に列す。 昭和十四年八月拝殿改築。 昭和十八年七月県社に列す。 大祭日 八月十八・十九日 −由緒書きより− |
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