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葛井神社
くずいじんじゃ
長野県茅野市ちの414
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諏訪大社上社摂社 |
諏訪湖の南東、JR茅野駅から北西に約1.5Km。
20号線から少し西へ入った所。
20号線から入ると道がややこしいのだが、
西を流れる上川沿いに広い道ができておりそちらの側。
境内の裏手をその道が走っていて、駐車スペースもある。
早朝の参拝で、霧がまだ晴れておらず、
白い大気の中に、赤茶の枯葉・紅葉の絨毯。
古色の社殿と、なかなか美しい姿を見せてくれた。
神社への参拝は、やはり早朝がベストだと思う。
当社の祭祀の中心は、裏手の葛井池。
上社の年中行事の最後の「葛井の御手幣送り」だ。
上社で一年間に用いた、幣帛・榊・柳・柏等を
いったん御宝殿に納め、早朝(寅の刻)、この葛井池に投げ込む。
すると、翌朝には、遠州の「さばぎの池」に浮き上がるという伝承。
実際は、そんなことはないと思うので、
神職が、人知れず回収しているのだろうか。
想像すると、面白い。
この伝承は『諏訪効験』に
「楠井の池の白木綿 かくとみえて、
国の堺もとをき海の、さなきの汀に浮ぶなる」
と見え、鎌倉時代にはすでに成立していたもの。
また、「葛井の池の主は片目の魚で、捕れば祟る」とか、
「雨乞いの時は、竹で池の水を叩き振り上げると、
後の人に水がかかり、雨が降る」などの伝承があり、
「葛井の清池」と呼び、諏訪七不思議の一つになっている。。
早朝の参拝で、霧の中に侵入する雰囲気。
枯れ葉の絨毯を敷き詰めた境内は幻想的ですらある。
拝殿前には、枯れたケヤキの古株。
本殿裏の池には、紅葉が浮んでいた。
拝殿 | 拝殿とケヤキの古株 |
境内社殿 |
石碑・津島牛頭天王 彌五郎殿、居森殿 | 本殿 | ケヤキの古株 |
本殿裏の葛井の池 |
一之御柱 | 二之御柱 | 三之御柱 | 四之御柱 |
市指定史跡 葛井神社 平成六年十二月二十六日指定
葛井神社は久頭井、楠井、久須井、槻井等とも書か
れ、祭神は槻井泉神とされる。祭祀の始まりは明らかでないが、古くから諏訪神社 の末社であり、前宮とは関係が深い。 大祝の即位にあたって十三所の御社参りをする時の 一社に入っていて、『諏訪上下宮祭祀再興次第』にも 祭礼や瑞垣、鳥居の建立について細かく触れられてお り、市有形文化財に指定されている九頭井大夫古文書 からも当社の古さをうかがい知ることができる。 わけても、上社の年中神事の最後を飾る御手幣送り の神事は、この神社の性格をよく表わしている。大晦日、 前宮において一年中の神事に手向けた幣帛、並びに榊・ 柳の枝、柏の葉等を御宝殿より取り下げて葛井神社へ 運び、寅の刻(午前四時ころ)に前宮御室の御燈を合図 に葛井の池に投げ入れる。すると卯の刻(午前六時こ ろ)に遠州のさなぎの池に浮び出ると伝えられる。 また、葛井の池については、諏訪上社の七不思議に も数えられて伝説も多く、社叢もシロヤナギ、エゾエ ノキ、ケヤキなどの樹種に、枯れてはいるが樹齢推定 六五〇年のケヤキの古株もあり、貴重な風趣を残して いる。 なお、葛井神社の代々の神主であった九頭井大夫家 に伝存する武田信玄の寄進状および朱印状(市有形文 化財)は、武田氏の諏訪統治を知るうえで貴重な文書 である。 −境内案内− |
【 葛井神社 】