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南宮大神社
なんぐうだいじんじゃ
山梨県韮崎市大草町上條東割790

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韮崎市大草町にある。
韮崎駅の南2Km、釜無川の西岸の上條東割。
大草公民館の西に境内がある。
公民館に面して桜が満開だった。
桜を見ると、なぜかホワッとした気分になる。
社伝によれば、甲斐源氏の祖・新羅三郎義光が
甲斐任国の時に崇敬した社。
武田家・一条家の産土社であったという。
式内・神部神社の論社のひとつだが、
大方の資料では、違うだろうということ。
現在の主祭神は、建御名方命だが、
社名からすると、金山彦命が本来の祭神なのかもしれない。
あるいは、韮崎中心部の南にあるという理由から
南宮と呼ばれたのかもしれないが。
赤い拝殿の屋根の中央には、梶紋がついていた。
主祭神が建御名方命なので、これが神紋だろう。
だが、拝殿には、他にも剣花菱のような紋がついていたが、
これについてはわからない。
境内横の桜が満開 |
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鳥居と神門 ![]() | 神門 ![]() |
境内 ![]() | 社殿 ![]() |
境内と社殿 |
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拝殿 ![]() | 境内社の石祠 ![]() |
舞殿 ![]() | 本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
南宮大神社
大草町上条東割 南宮大神社は、諏訪明神すなわち建御名方命 を主祭神とし、大己貴命・事代主命・金山彦命を配祀する、甘利郷きっての大社である。 社記によれば、新羅三郎義光が甲斐任国の時 崇敬して社壇を造営したといい、武田太郎信 義、その嫡男一条次郎忠頼も篤く崇敬し、武田 一条氏が武川地方に封ぜられると、当社を産土 神として崇敬し、その支族の武川衆諸氏も 協力して当社に奉仕した史料を伝えている。 また武田信玄は当社の禰宜(神主)に対し、 府中八幡宮に二日二晩参篭し、武田家武運 長久と領内安穏の祈祷をすることを命じた。 徳川家が社領十六石八斗、社地四千六百坪を 寄進したのは、武田家の例に倣ったものである。 現存する社殿・建造物は、本殿・拝殿・神楽殿・ 随神門・石鳥居などで、境内地も縮小されて 千六百六十五坪に過ぎない。戦前までは、境内 に新羅三郎手植と伝えられる桜の巨木があり、 植物学上、全国に比類のない珍種とされていた が、惜しくも枯死した。 −境内案内板− |
【 南宮大神社 (韮崎市) 】
