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諏訪大社 下社 秋宮
すわたいしゃ しもしゃ あきみや
長野県諏訪郡下諏訪町5828

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式内社 信濃國諏方郡 南方刀美神社二座 名神大 |
『古事記』に、祭神、建御名方神に関する記述がある。
建御雷之神が、大国主命に国譲りを迫り、
大国主命の長男事代主命が恭順を示した後、
大国主命は「もう一人の我が子、建御名方神がおります」という。
建御名方神は千人引きの大岩を手の先に差し上げながら、建御雷之神に力競べを挑む。
まず、建御名方神が、建御雷之神の腕を掴むと、腕は氷柱に変化し、剣の刃に変化。
建御名方神は恐れをなして引き下がる。
次に、建御雷之神が、建御名方神の腕を掴み、握り潰して放り投げる。
建御名方神は恐怖に逃げさるが、建御雷之神は追いかける。
信濃国諏訪まで逃げた建御名方神は、諏訪から出ないことを条件に命乞いをする。
ということで、あまり格好の良いものではない。
もちろん、古事記は朝廷側の記述だから、仕方はないが。
諏訪湖の北、下諏訪駅の北にある。
駐車場から鳥居をくぐり、参道を進むと、「根入りの杉」が目に入る。
その奥に、神楽殿があるが、多くの人はここで参拝して帰っていくようだ。
神楽殿後方に、幣拝殿があり、瑞垣内に宝殿二棟がならんでいる。
鳥居手前左手の千尋池では、神宝の「売神祝印」が発掘された。
諏訪大社は、上社・下社に分かれており、本来、
上社に建御名方神、下社に八坂刀賣神を祀っている。
また、上社には本宮と前宮、下社には秋宮と春宮があり、
四社を総称して諏訪大社という。
上社と下社では、奉祀する神職の長が
上社では神別(祭神の子孫)、
下社では皇別(皇族の子孫)とされている。
下社の大祝は、神武天皇の御子、神八井耳命を祖とする。
ところで、有名な国譲りでの建御名方神の神話は、
古事記にしか載っていない。日本書紀にはないのだ。
これほど、天孫系の優位を説明するのに都合の良い記述がないのに。
日本書紀では、国譲りに反対する神は、香々背男(天津甕星)である。
この神が建御名方神と同一とみられ、邪神とする説もある。
また、諏訪大社祭神を、伊勢津彦神(出雲建子)とする話もある。
神武天皇の命で、伊勢に攻め込んだ天日別命に追われ、
伊勢津彦神は、信濃に逃げのびている(伊勢国風土記)。
八坂刀売命のことを、『旧事本紀』天神紀には、
「八坂彦命、伊勢神麻績連等の祖」とあり、八坂彦命の裔とする。
伊勢神宮に麻續神社があり、長野中央部に麻續村という地名が残る。
また、信濃国造と伊勢舟木氏は同祖(神八井耳命)である。
また、大神と諏訪の関係も、なかなか面白い。
上社「大祝」の姓は神(じん)氏だが、これを神(みわ)と読んで、
美和郷を大祝の郷とする説がある。みわ=三輪である。
下社「大祝」は信濃国造と同じ金刺氏だが、信濃国造と同祖の
太氏が存在する。太氏は多神社において三輪山祭祀に
関わるとともに、古事記の編者・太安万侶がその太氏である。
このあたりに古事記にしか記述されない神話の秘密があるのかもしれない。
宝殿の奥に、御神木の一位の木がある。本殿はない。
諏訪大社の御神紋は諏訪梶。
上社が四本足で、下社が五本足。
鳥居 |
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神楽殿 ![]() | 神楽殿 ![]() |
境内 |
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平成二十三年参拝時には神楽殿は工事中だった |
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幣拝殿、平成二十三年撮影 |
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幣拝殿 ![]() | 宝殿 ![]() |
社殿の四方に御柱が建てられている。
以下の御柱は、最初に参拝した平成十二年当時のもの。
一之御柱 ![]() | 二之御柱 ![]() | 三之御柱 ![]() | 四之御柱 ![]() |
樹齢200年程の樅の巨木・御柱は
七年目毎(六年に一度)、寅と申の年に立て替えられる。
平成二十二年(寅年)に新しく立て替えられた御柱を見て来た。
一之御柱 ![]() | 二之御柱 ![]() | 三之御柱 ![]() | 四之御柱 ![]() |
駐車場脇に末社が二社。
境内、拝殿前の左右に摂も末社がある。
鹿島社があるのが面白い。
駐車場脇の八幡社 ![]() | そして恵比須社 ![]() |
鹿島社 武甕槌命 子安社 高志沼河比売神 賀茂上下社 賀茂別雷神・玉依媛命・建角身命 八坂社 素盞嗚尊・奇稲田姫命・八柱御子神 ![]() | 皇大神宮社 天照大神・豊受大神 若宮社 建御名方彦神別命・ 伊豆早雄命・妻科比賣命・池生神・ 須波若彦神・片倉辺命・蓼科神・ 八杵命・内県神・外県神・大県神・ 意岐萩命・妻岐萩命 稲荷社 倉稲魂神・大宮賣命・佐田彦命 ![]() |
古図に記載された春宮と秋宮 |
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諏訪大社 旧官幣大社 上社本宮 中央本線 上諏訪駅より南西六粁 上社前宮 中央本線 ちの駅より四粁 下社春宮 中央本線 下諏訪駅よリ○・九粁 下社秋宮 中央本線 下諏訪駅より東○・七粁 祭神 建御名方神 八坂刀売神(配祀)事代主神 例祭(上社)四月一五日(下社)八月一日 神紋 諏訪梶 本殿(上社本宮)神体山約一○万坪、(上社前宮)神明造 一六坪、(下社春宮)神明造 一一坪余(下社秋宮)神明造 九坪余 境内 一一三、一九三坪余 摂社 六一社 宝物 銅印(重要文化財)、武田晴信定書(一一軸)、諏訪大明神御神渡注進状一冊、源頼朝下文、後奈良天皇御宸斡並女房奉書、徳川幕府累代社領寄進状、八栄鈴(古鈴)、後水尾天皇御色紙、鉄鐸二連、白銅菱花鏡、大正天皇貞明皇后御料品 氏子 三万三千戸 崇敬者 数百万人 神事と芸能 式年御柱大祭(毎寅申年七年目毎)、蛙狩並御占神事(元旦早旦)、田遊神事(正月一五日)、筒粥神事(正月一四日夜より一五日)、野出神事(二月二八日)、御頭祭(四月一五日)、御船祭(八月一日)、御射山社祭(八月二六日〜二八日) 由緒沿革 信濃同諏訪の地に鎮座のこと国史 に明かにして我国最古の神社の一であり、古 来より諏訪大明神、諏訪南宮大明神、諏訪南 宮正一位法性大明神などと称えられ、延喜の 制に早くも名神大社として祈年の斑幣に預 る。又信濃国一之宮として広く天下の崇敬を あつめ、御神徳を奉じ分社分霊を祀ること全 々浦々に及び其の数一万有余を数う。祭神建 国津御名方神は大国主命の第二子神として、 御兄事代主命と共に大国主命を輔けられ、国 土経営の大任に当てられ、天孫降臨に際し天 神の勅を奉じ、国土を奉り科野国洲羽の地に 退かれ、妃神八坂刀売神並に御子神と共にこ の地の国土開発に当られ、農耕機織を奨めら れ、或は神功皇后三韓征伐に神威を顕し、文永 弘安の役には外敵を退けらる。由来国家鎮護 の守護神として、歴朝武門武将の崇敬篤く、 鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を 造営祭祀を復興し、徳川幕府亦社領千五百石 を奉りて神徳を仰いだ。大正五年官幣大社に 列す。(神社本庁別表神社) −『神社名鑑』− |
