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熊野神社
くまのじんじゃ
富山県富山市婦中町友坂字熊野山5404

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式内社 越中國婦負郡 熊野神社 |
富山県富山市婦中町友坂にある。
速星駅の北西3Km。
道路脇に鳥居があり、周囲にはお寺。
この鳥居は、二の鳥居で、
道路を渡ったところの小道を少し歩くと、一の鳥居がある。
平安時代には、下条の方に一の鳥居があったほど、広大な敷地だったらしく、
一説には、五万坪。
ということで、一の鳥居から緑のアーチをくぐって参拝。
境内に社殿が一つ見えるが、その背後の階段の上に覆屋の中に本殿が鎮座している。
社伝によると、
大宝二年十一月、山田郷の総社として創立。
往古よりの大社として、数多くの社家・社僧が奉仕し
大徳山水源寺が、代々当社の別当職を務めていたという。
出雲の熊野大社から勧請されたと伝えられ、
往時は、森厳な山麓に鎮座していたのであろうということは、
今でも感じることができる。
白鳥神社と称していたという伝説が残っているようだが、詳細は不明。
社殿についていた神紋が、剣を用いたもので、
日本武尊に関連する白鳥神社であった「匂い」はするが、
真相はわからない。
背後の山上に古墳があって、火の玉が出たという伝承も残る。
一之鳥居 ![]() | 二之鳥居 ![]() | 二之鳥居 ![]() |
社殿 |
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社殿 ![]() | 後方の階段上に本殿 ![]() |
本殿 |
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砺波の高瀬神社と共に最も
古い社。白鳳時代の末、都の
高僧大徳が創建したといわ
れる。出雲民族の氏神の国幣
大社熊野神社の系統である
といわれ、平安時代に最も栄え
一の鳥居は下条の四ツ屋、二の鳥居は
友坂字竹の花にあって沿道には
数多くの石燈籠が並び賑わった。
しかし上杉謙信の相次ぐ侵入に
当り、一門これに抗して聖域が
灰燼に帰し盛衰を経て今
日に至っている。
−境内案内− |
【 熊野神社 (友坂) 】
