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入善神社
にゅうぜんじんじや
富山県下新川郡入善町入膳3601

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富山県の入善町にある。
北陸本線・入善駅の南500mの入膳に鎮座。
花月公園の南側に、道路に面して西向きの境内がある。
参拝は晩秋の十一月、雨の午後。
花月公園の駐車場に車を停めて参拝。
境内入口には白い両部鳥居が立っており、右手には「郷社入善神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり境内に入ると、参道正面に社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造。拝殿の後方に中門があり、瑞垣に囲まれた流造の本殿。
拝殿や本殿はガラスで覆われていた。北陸の神社に多い形式だ。
社殿の左手に「入善町戦没英霊の碑」が立っているが、
その奥、表忠碑の上に女神像が置かれていた。
右手に釣竿を持って、左手に何かを捧げているような姿をしている美しい姫神。
入善町になにか、姫や女神に関する伝説でもあるのだろうか。
残念ながら調べていないのだが、とても印象に残っている。
創祀年代は不詳。
平城天皇大同元年(806)、山王という地に社地を替えたという古社。
後白河天皇第四皇子である茂仁親王北陸の宮と称し、
治承年間(1177−1184)、木曽義仲義兵を挙げるに際し武運長久を祈願したという。
義仲下向の時、五十里庄に駐輦し、臣下の入善小太郎閑居の後は入善の郷と称するようになり、
寛文年中(1661−1673)、独立して入善村となった。
義仲の頃、当社は北陸宮鎮守八幡宮と称していたが、義仲敗北の後に衰退。
天正年間(1573−1592)、長尾景虎越中攻めの際に兵火にかかり、
宝暦元年(1751)、再び当地字北野の地(『明治神社誌料』では北町)を卜して遷座。
白山社・日吉社を合祀し、爾来、人びとの崇敬篤く、
明治六年八月三日郷社に列した。
明治二十四年十月、入善神社と改称し、
明治四十三年、社地狭隘のため、現在地に遷座したという。
現在の社殿は、昭和五十六年に新築されたもの。
拝殿や社務所の屋根に三つ巴紋が付けられていた。
誉田別尊を祀る八幡系の神社なので、三つ巴紋が神紋だと思うが、確認はしていない。
なお、本殿の屋根には菊紋が付けられていた。
社頭 |
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花月公園 ![]() | 境内入口 ![]() |
境内 |
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拝殿扁額 ![]() | 社殿左手に表忠碑 ![]() |
表忠碑の上に女神像 |
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中門 ![]() | 拝殿 ![]() |
花月公園から本殿 |
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