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加多志波神社
かたしはじんじゃ
福井県鯖江市川島町27−22
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式内社 越前國今立郡 加多志波神社 |
福井県の鯖江市にある。
鯖江駅の西2Kmほどの川島町に鎮座。
北陸自動車道・鯖江I.C.を越えて105号線を西へ。
川島町に入ったあたりで、南へ入ると広い境内がある。
緩い坂道を登ると、境内入口の鳥居。
鳥居の脇には「式内 加多志波神社」と刻まれた社号標がある。
鳥居をくぐると、参道は二手に分かれており、
分かれた参道を、すぐに右手(西)へ進むと観音堂へ続く下の参道。
まっすぐに進んで、右手へ曲がると当社社殿へ続く上の参道。
とりあえず、まっすぐに階段を上っていくと
突き当りに「三里山登山口」がある。
三里山は、鯖江と武生と今立の3つの里にまたがる350mほどの里山。
武生と今立は合併して、越前市になったので、今は二里山(ウソ)。
当社境内は、その三里山の北麓にある。
参道を、登山口から右手へ進むと参道の木造鳥居。
さらに参道を進むと、社殿のある境内。
神馬像には三つ巴の紋が付けられている。
社殿は、拝殿と後方に本殿。
本殿の周囲には、板の雪囲いがある。
社殿の後方へ続く道があり、
細い道を進むと塔佛堂がある。
塔佛堂から階段を下ると、立派な観音堂がある。
境内入口の鳥居をくぐって、
すぐに右に進む下の参道は、この観音堂へ続いている。
創祀年代は不詳。
式内社・加多志波神社の論社となっている古社。
社伝によると、
延元(1336〜)の時代、足利高経と新田義貞が
鯖江府中で戦っていた頃、川島左近蔵人惟頼の崇敬が篤く
広壮な社殿があったらしいが、その後衰微したという。
下の参道の先にある観音堂には、木造聖観音像とともに
鎌倉時代後期の秀作・木造追儺面(父・母・子の三鬼面)が納められている。
大正12年大旱魃の際に雨乞いしたところ
慈雨が降ってきたということから
御神体として尊崇されるようになったらしい。
鳥居 | 参道 |
上の参道 |
参道鳥居 | 参道 |
境内 | 社殿 |
社殿 | 本殿 |
塔佛堂参道 | 塔佛堂 |
塔佛堂から下へ |
追儺面を納めた観音堂 | |
観音堂から下の参道 |