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藤島神社
ふじしまじんじゃ
福井県福井市毛矢3−8−21  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に一引

旧別格官幣社

御祭神
新田義貞

配祀新田義顯 (義貞嫡子)
配祀新田義興 (義貞第二子)
配祀新田義宗 (義貞第三子)
配祀脇屋義助 (義貞の弟)

福井県福井市にある。
福井駅の西1Km足羽山公園に鎮座。
公園の東側道路に、参道入口の大鳥居が立ち、
階段を上ると広い駐車場を持つ境内。

横に広い階段の上に鳥居が立ち、
鳥居の奥に社殿がある。

戦前の絵葉書を見ると、
足羽山公園の上から境内・社殿が望めるらしいので、
足羽山公園の上から車で下りて見たが、
残念ながら木々が茂って、よく見えなかった。
歩いて下りると、少しは見えるポイントがあったかもしれない。

参拝は三月の休日。
社殿の前には、白い梅の花が咲いていた。

当社の祭神・新田義貞は、
群馬県に生まれ、清和源氏の流れであったが、
鎌倉幕府において、同族の足利氏より冷遇され、
幕府執権に不満を持っていた。
後醍醐天皇の倒幕計画に加わり、鎌倉幕府を滅ぼした名将であったが、
延元三年、当地で足利軍との戦闘に破れ、燈明寺畷にて戦没。

明暦年間、この地で、祭神の兜が発掘され、
万治三年(1660)、福井藩主松平光通によって
「新田義貞戦死此所」の石碑が建立され、俗に「新田塚」と称した。
(現社地の北3Kmほどの新田塚町)

明治三年(1870)福井藩知事松平茂昭によって一祠が建てられ、
明治九年、藤島神社の社号にて、別格官幣社となった。

明治三十四年、新田塚から現社地である足羽山へ遷座。
建武中興十五社の一社である。

当社の神紋は、一つ引両。
祭神・新田義貞の家紋。


大鳥居

境内

社殿

境内

拝殿

本殿

戦前の当社絵葉書。
拝殿の形が、現在と違うし、境内もかなり開放的だ。


戦前の絵葉書

旧別格官幣社藤嶋神社は後醍醐天皇の建武中 興の時代に活躍した武将「新田義貞公」を御祭神 としてお祀りした神社です。

新田義貞公は清和源氏の流れで、八幡太郎 義家から十代目の子孫に当り代々関東上野國 (群馬県)の新田郡に住み 新田氏を名乗る。後醍醐 天皇が鎌倉幕府を倒そうと計画密かに新田 義貞公に命を発し鎌倉に攻め入り時の執権 北條高時を倒し鎌倉幕府を滅ぼしたのが五月 二十二日で、この日を藤嶋神社の記念祭の日と 定め斎行しております。又、一三三八年足利軍と 福井平野で奮闘閏七月二日燈明寺(新田塚) にて三十八歳で壮烈な戦死を遂げられました。 この日を太陽暦に換算した八月二十五日を 例大祭と定め斎行しております。

新田義貞公戦死の燈明寺畷のこの地から明暦年間 (一六五五〜五七)義貞公の兜が発見され時の福井藩主 松平光通公は一六六〇年そこに「新田義貞公戦死此所」 と刻んだ石碑を建立これが現在の「史蹟新田塚」です 明治初年新田塚の近かくに「別格官幣社藤嶋神社」が 創建され明治三十四年五月に現在の場所に奉遷 されて現在の藤嶋神社となっております。

−境内由緒より−



【 藤島神社 (福井市) 】

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