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白山神社
はくさんじんじゃ
福井県あわら市伊井4−1

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福井県あわら市にある。
北陸本線・芦原温泉駅の南東3Kmほどの伊井に鎮座。
伊井の集落の東側に、たぶん、西向きに境内がある。
「たぶん」というのは、記憶が曖昧なのだ。
たぶん、西向きに間違いないと思う。
晴天の青空なのに、
天頂部にのみ薄い綿のような雲が湧いていた日。
境内は、比較的新しく整備された雰囲気で、
木々も少なく、社殿周囲には砂利が敷かれている。
境内の記念碑によると、社殿も平成十五年に改築されたようで、
まだまだ新しさが目立つ神社で、非常に明るい印象。
境内奥の社殿も立派だが、
拝殿後方の覆屋も立派で、本殿を確認し忘れた。
江戸時代後期の建築を、最近、修理したらしい。
案内によると、立派な彫刻が施されているようだ。
創祀年代は不詳。由緒も不詳。
境内案内によると、継体天皇も参拝したという古社。
当社近傍に、一井の池があり、
その神水を、継体天皇の奉呈したところ、
喜ばれて「兎鳥の池」と名付けられたという。
(『福井県神社誌』には「鬼鳥の池」とある)
当地は、もと伊伎村と称したが、
この池に因んで、伊井と改称されたという。
境内社の神明神社が、式内社・伊伎神社の論社。
大正四年に廃社となり、白山神社に合併後、
現在は境内社となっている。
社殿の左手に、境内社の石祠が二つ。
式内論社の神明神社と、天満宮らしいが、
どちらが神明神社かは未確認。
経験的には、右の背の高い祠が神明神社だと思うが。
当社の近くに、一井の池があるらしいが
確認していない。
神紋の輪宝紋は、石の手水鉢に刻まれていたものを
切り取って使ってみた。
初めての石の紋だが、縮小すると立体感が無くなるなぁ。
境内入口 |
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境内 |
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社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
境内社石祠二社、右が神明神社? |
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本殿の神座天井裏から発見された棟札等から、 当建物は、江戸時代後期の文化三年(一八〇六) に建立されたものとみられ、当時の状態をよくと どめている。 本殿は、欅の素木を用い彫刻装飾を多用する 当時の典型的な建物である。 本殿には、脇障子の柱に巻き付く昇り竜・降り 竜の丸彫、向拝手狭の迦陵頻伽・鳳凰・桐・雲の 籠彫、中国の故事を題材にした側面壁板の浮彫り などの多種にわたる見事な彫刻が施されている。 この建物は、坂井郡を中心に活躍していた伊井 大工達の手によって造られたものであり、江戸時 代の庶民信仰を代表する神社建築として、県内で は類のない非常に貴重な建築物である。 −境内案内板− 白山神社改修記念碑
当白山神社は、継体天皇が越前国地方に滞在になられた時、
ご参拝になられ、その後式内社に列せられた伊伎神社
(後の神明神社)を合祀した由緒ある神社である。
伊伎神社には一井の池があり、この水を継体天皇に
差し上げたところとても喜ばれ、兎鳥の池と称された。
当時、この地を伊伎と称していたが、この浄水の井に因み、
詔により伊井と改称され、今日の村名になっていると伝わる。当白山神社の祭神は伊弉那美尊で、社殿の草創は 不明であるが、江戸時代初期の寛文五年にはご神体が奉納 されており、その後の寛保二年、文化三年に本殿が建設されている。 その後、文久三年、明治四十一年に社殿の改築がなされたが、 昭和二十三年の福井大震災により社殿悉く倒壊し、 仮復旧のままであった。今回は、町指定文化財となった文化三年の 本殿を修理し、その他の社殿を新たに改築し、由緒ある 歴史と文化遺産を後世に伝えることとした。 平成十五年十月吉日 −記念石碑より− |
【 白山神社 (あわら市伊井) 】
