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晴明神社
せいめいじんじゃ
福井県敦賀市相生町8−20

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福井県敦賀市にある。
気比神宮の西、500mの相生の街中。
市立博物館の南の路地に、西向きに鎮座している。
参拝した日は、社殿の工事が行われており、
数本の幟旗が立つ境内には、材木や木工器具。
工事作業をしていた方に、お願いして撮影。
気がねしながら、急いで撮影したので、
「祈念石」を撮り忘れた。
元は、稲荷を祀っていた神祠。
安倍晴明が、ここで研究に励んだという。
社頭の案内では、正暦年間(990年代)とあるが、
一説には、晴明の誕生は、延喜21年(921)。
とすると、かなりの高齢であったと思われる。
ただし、晴明の出生は謎が多く、正確な事は不明。
また、永祚元年(989)には、一条帝に仕え、
帝の病の占いや、皇太后のために泰山府君の祭などを行っている時期。
稲荷社に参詣したという話は、
晴明と狐の縁を物語るものだろう。
拝殿の中に本殿が祀られており、
本殿の下、青い幕の奥に、祈念石がある。
京都の晴明神社に、最初に参拝した時も、
社殿の工事中だったなぁ。
その後、敦賀を再訪したので
再び、当社を参拝。
今度は忘れずに「祈念石」を撮影してきた。
ついでに写真も撮影しなおしてきた。
境内 ![]() | 鳥居 ![]() |
社殿 ![]() | 祭壇 ![]() |
祭壇下の祈念石 |
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工事中の社殿 ![]() | 工事中の社殿 ![]() |
晴明神社由緒 昭和六十一年十月
祭神 保食神 安倍晴明公 春玉稲荷当社は往古より保食神(食物を守護する神)の 旧跡で安倍晴明は正暦年間(九九〇―九九四一条帝) 当地に住み天文、地文の研究をし、日夜この神祠に 参詣、信仰心甚だ篤かった。天文の奥義を究 めるに供した霊石(晴明の祈念石)がある。南北朝 金ヶ崎戦、天正の織田朝倉の兵乱にも災禍を 免れたのはその霊験によるとして益々尊信敬拝した。 明治十一年社号を晴明神社と改称、春玉稲荷は 明治二十四年頃合祀し、大正五年西側の元朝市場 より現在地に遷座した。崇敬区域東、中、西晴明 (旧名一向堂、中橋、観世屋町)はじめ区外崇敬者 も多数である。 祭日 例祭 四月八日、十月八日 −『平成祭データ』− |
【 晴明神社 (敦賀市) 】
