[HOME] > [神社記憶] > [北陸地方] > |
|
荒嶋神社
あらしまじんじゃ
福井県大野市佐開55
|
||
式内社 越前國大野郡 荒嶋神社 |
福井県大野市にある。
越美北線・下唯野駅の南3Kmほどの佐開に鎮座。
真名川の東岸を南北に走る171号線を南下し
少し東へ入る。
もう少し南下すると、真名川にかかる佐開橋を越えて
157号線と合流する地点だが橋を渡らずに東へ。
車道を進むと、正面に境内が見えてくる。
鳥居をくぐると、背の高い木々の茂る境内。
鳥居の右手には「式内 荒嶋神社」と刻まれた社号標。
境内の奥が一段高くなっており、その上に拝殿がある。
階段を登ると正面に拝殿。
拝殿の左手には、横向きに「嵐嶌宮」。
(あらしまぐう、と読むのだろうか)。
拝殿の後方が、さらに一段高くなっており、
本殿や境内社の社殿が並んでいる。
本殿は瓦葺の流造だが、側面には雪除けのためか
テント地らしきシートが付けられていた。
また、本殿の扁額には「春日宮」と書かれている。
創祀年代は不詳。
明治元年8月に現在地へ移された神社で、
それ以前は、当社の東に聳える荒島岳(1523m)の
中腹に鎮座していたようだ。
現在地には、もと春日宮が鎮座しており
春日宮の地に荒嶋社が合祀され
社号を荒嶋神社と変えたことになる。
だから、本殿には、
いまだに「春日宮」と書かれているのだろう。
とすると、拝殿の左手にある「嵐嶌宮」(あらしま宮?)は
どういう位置づけになるのだろうか。
こちらが、山から下りてきた大権現なのかもしれない。
伝承によれば、物部大連公がこの山を領し、
公の没後、里人が公を崇めて大権現として祀ったという。
人皇四十五代聖武天皇の天平七年(735)
行基が浄行行者とともに飯降山において
仏像二百七十余体を作ったが
その中の正観音菩薩丈六の尊像を当山大権現とさだめ
当山へ安置したという。
本殿の扉に、ギザギザ状の三つ巴のような紋が付けられていた。
参拝時は、雲(あるいは水)の巴紋だと思ったが、
帰ってきて、よく考えてみたら、
春日宮なので、藤花による三つ巴ではないかと気付いた。
本殿左の境内社は、天満神社(天神さん)、
白山神社(北堂さん)、村上神社(権現さん)。
本殿右には、神明神社、八幡神社。
社域 |
鳥居 | 境内 |
境内 |
拝殿左手に嵐嶌宮 | 拝殿 |
本殿左手の境内社 | 本殿右手の境内社 |
春日宮と扁額のある本殿 |
本殿 | 本殿 |