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能登國総社
のとこくそうしゃ
石川県七尾市古府町キ22
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能登國総社 |
能登半島・七尾市にある。
七尾駅の南3Kmほどの古府に鎮座。
境内入口に鳥居が立ち、「能登國総社」の扁額が掲げられている。
参拝は午後。木立の茂る境内は、
すでに暗く、写真を撮ると青く写る。
緩くカーブする静かな参道を歩くと社殿がある。
参道には数個の力石が並べられている。
案内板には「盤持石」とあり、
能登地方で行われた力比べに使用された石。
幕末時代に最盛期であったらしい。
拝殿の後方に覆屋があり、中に本殿があるのだろう。
案内によると、流造の本殿は、江戸時代初期の建築様式だそうだ。
当社の創祀は、崇神天皇の御代。
往古、大穴持命が能登国を平定し、
その御座された石を神体として、社殿を建立。
後、円融天皇の頃、源順が能登国司となり、社殿を再建。
能登国中の延喜式内四十三座の神を勧請して総社としたもの。
ということで、祭神は能登式内四十三座の神。
さらに、諏訪神社を合祀して、建御名方神も祀る。
ただ、『平成祭データ』には、祭神・菊理姫神とある。
鎮座地の字名は、白山といい、本来は白山神社なのだろうか。
(これに関しては未確認なので自信はないが)
拝殿の扉には、桜紋が付けられていた。
鳥居 | 参道の力石 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
雰囲気のある参道 |
総社由来
能登国内四十三座の神を祀るほか
一九〇七(明治四十)年合祀した
諏訪神社の建御名方神を祀る。旧社
格は村社。能登国の総社である。総社は平安中期から後期にかけ 国司が管内の官社などの神霊を国 衙に近い地に勧請して奉幣参拝の 便をはかったのに起源するという。 社伝によれば往古大穴持命を奉祀 したのに始まり源・順が能登守の とき再建して能登国中の式内四十 三座の神を勧請したという。 [能登国式内等旧社記]には「惣社矢田 郷古府村鎮座。称惣社明神或云惣座 宮。往古国府神拝之惣社也」とある。 春祭四月十八日、秋祭十月十八日。 一六三八(寛永十五)年の三番叟図額 三十六歌仙額や一六四一(同十八)年 の絵馬額がある。 −境内案内石碑− 総社
崇神天皇の御代の創立と伝えられ、大穴持命が能登国に臨幸巡国経営の際に神恩を仰ぎ、その御座された石を神体と崇め、社殿を建立したのがその創始であると伝えられている。円融天皇のとき、源順能登の国司として下向の節当神社を再建し、能登国中の延喜式内四十三座の神を勧請、幣帛神田社領を奉幣寄進され能登国総社と称する。 その後畠山泰国より国守守護の神社として尊敬され歳時奉幣された。 古府、古城、小池川原、藤野、後畠の産土神であった。 明治四十一年四月八日神饌幣帛料供進神社に指定された。 −『平成祭データ』− |
【 能登国 総社 能登國 総社 (七尾市) 】