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奥津比咩神社
おきつひめじんじゃ
石川県輪島市鳳至町

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式内社 能登國鳳至郡 奥津比咩神社 |
能登半島北部・輪島市にある。
輪島港の西にある鳳来山の麓、輪島港を見下ろす位置に鎮座。
輪島の沖約50Kmに浮かぶ舳倉島に鎮座する本社に対し、
当社は里宮にあたる。
舳倉島へ渡る船の出港待ち時間に参拝。
港から歩いて数分の位置にある。
鳳来山は公園になっているようで、麓の道に面して
階段を登ると狭い境内がある。
境内は狭いが、社殿は想像以上に大きく、
全体を撮影するのは難しい。それほど大きい。
階段下には、国守大友家持が能登巡行の際に詠んだ歌碑もある。
沖つ島 い行き渡りて 潜くちふ 鰒珠もが 包みて遣らむ
当社の建立は、資料によると昭和五十年。かなり新しいのだが、
輪島港には、以前から恵比須神社があり、産土神社とされていた。
それが、明治初年に、舳倉島の奥津比咩神社遥拝所と定められ、
昭和五十年に、当地に新築されたという。
社殿前の鳥居 ![]() | 社殿 ![]() |
境内 |
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社号標 ![]() | 拝殿額 ![]() | 社殿から境内入口鳥居 ![]() |
奥津比咩神社由緒 奥津比咩神社の本社は海士町所属の舳倉島に鎮座し田心姫命を祀り延喜式内の古社として知られる。 能登国式内等旧社記には「奥津比咩神社式内一座輪島の海上舳倉島に鎮座西宮と称す或は舳倉島権現と云ふ。 舳倉島の旧名は奥津島祭神は奥津媛命と記されている。 中世の末期に筑前国鐘ケ崎(現福岡県玄海町)より能登国に渡来した海士又兵衛以下十三名がやがて舳倉島を根拠として漁業を営むようになって深く当社を崇敬し海士の故郷宗像大社の信仰をうけて産土神と仰ぐようになった。 昭和五十年漁業の近代化多様化により舳倉の宮に対して海士町の宮を現在地に建立して里宮とし、舳倉島の本社・末社及び七つ島の神々の御分霊をも奉祀することとした。 −『平成祭データ』− 奥津比咩神社 当社は輪島沖五十粁の舳倉島に鎮座する延 喜式内の古社にして田心姫命を奉祀する 往 古は舳倉権現とも称したと伝えられ 他に蛭 子社・琴平社・弁天社・祇園社・大和田社・ 無他社・神明社の七つの末社が鎮座する 中世末期に筑前国鐘ケ崎より渡来の海士又 兵衛以下十数名が舳倉島にて漁業を営むよう になってからは深く当社を尊崇し 故郷の宗 像大社の信仰と相俟って産土神と仰ぐように なった 近年漁業の近代化・多様化などにより 昭 和五十年にこの地鳳至山麓に奥津比咩神社里 宮を新築し 舳倉島・七つ島の神々の御分霊 を勧請して 輪島における氏神信仰の拠点 とした 当社所蔵の文化財には「千石積み渡海船の 模型と板図」「舳倉島の祭礼資料」などがあ る −境内案内より− |
【 奥津姫神社 奥津比め神社 奥津比咩神社 里宮 (輪島市) 】
