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春日神社
かすがじんじゃ
福井県坂井市三国町新保18−16

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福井県の坂井市にある。
えちぜん鉄道・三国駅の南西2.5Kmほどの三国町新保に鎮座。
竹田川と九頭龍川が合流する河口部近く。
竹田川にかかる港橋を渡り、
九頭龍川にかかる新保橋を渡って北へ100mほど。
九頭龍川の西岸、川の近くに北東向きの境内。
境内は石の垣に囲まれ、
「郷社 春日神社」と刻まれた社号標が立っている。
境内に入り、参道を進むと、春日神社と染められた幟や提灯。
屋台なども準備され、社殿前には御神輿が出されていた。
参拝は数年前の4月29日。
ちょうど春の例祭の日だったようで、氏子の方々が準備中。
邪魔にならないように、ひっそりと気配を隠して参拝した。
参道の左手に池があり、池の中に石祠の厳島神社。
参道左手奥に金刀比羅神社があり、
右手に事代主堂と磯前神社。
拝殿は唐破風付き切妻造瓦葺で、拝殿の後方に大きな流造の本殿。
本殿には、覆にの屋根が設置されている。
本殿の右手に八幡宮があり、左手には石祠。
『福井県神社誌』に境内社として
天照皇大神宮の名があるがこれだろうか。
創祀年代は不詳。
社伝によると、往古は阿古江新保浦に鎮座していたが
延喜の末年(923)に大暴風雨が発生し、砂を吹き飛ばして
一日一夜にして砂が三尺以上も降り積もり、
阿古江新保浦から上浜住村までが、大砂漠になってしまった。
これが、現在の三里浜である。
この災害で、人家が多く砂に埋まってしまい、
人々は、泥原新保浦移り住み、当社も現在地に遷宮されたらしい。
第六十一代朱雀天皇の御宇、天慶七年(944)三月、
大和国の龍葢寺の僧・雲光が社殿再建に尽力し、
字片岡に鎮座していた片岸神社を遷座して、
春日神社の相殿に祀ったという。
この片岸神社は、天平勝宝年間の創建と伝えられ
式内社・片岸神社の論社。
往昔は社人も多く、馬場などもあった大社で
字燎火山は、片岸大社の大門前のかがり火を焚いた旧地であるという。
明治五年十一月七日、足羽県から郷社に列せられ、
明治八年十二月十日、敦賀県から更に郷社に列せられた。
境内社の事代主堂には三つ柏の紋、
磯前神社には三つ葉葵の紋を染めた幕が張られていたが、
社務所には「下り藤」の紋の幕。
春日神社なので、藤紋が当社の神紋だと思う。
参道の幟に、奈良や京都で見かける「身代わり猿」がぶら下がっていた。
この辺りでも身代わり猿の信仰はあるのだろうか。
それとも奈良から持ってきたものだろうか。
せっかく、祭の準備中に参拝したんだから聞いておけば良かった。
社前 |
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鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
社殿 |
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本殿 |
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本殿左の石祠、天照皇大神宮か ![]() | 本殿右の八幡宮 ![]() |
金刀比羅神社 ![]() | 磯前神社 ![]() |
池の中に厳島神社 ![]() | 事代堂 ![]() |
参道の幟に身代わり猿が付いてた |
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