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八幡神社
はちまんじんじゃ
富山県氷見市朝日丘15

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富山県氷見市にある。
氷見駅の西1Kmほどの朝日丘に鎮座。
160号線と76号線の交差する交差点の北東角に境内がある。
仏生寺川・万尾川にかかる新八幡橋の北詰。
十二町潟の入口にあたり、古墳型の小丘の上にある。
境内入口は東向き。
小丘の麓に「八幡神社」と刻まれた社号標が立ち、
石鳥居の右脇に手水舎。鳥居をくぐり狭い石段を上ると
丘の頂上部に社殿がある。
拝殿は瓦葺入母屋造り平入りで、本殿は拝殿の後方、覆屋の中。
拝殿扁額には「八幡宮」とある。
参拝は十月後半の朝六時頃。ちょうど日の出の頃で社殿には明かりが灯っていた。
狭くてこじんまりとした境内だが、昇る朝日を正面に受けて美しかった。
通称は、村上の宮(むらかみのみや)。
由緒書きのよると当地は旧布勢湖の入口にあたるらしい。
創建は大友家持と伝えられ、
昔、悪亀が汐を吹き上げて田圃に害をなしたため、
磐で圧し殺して鎮めた場所で、「シヅメの森」「鈿女(うづめ)森」「雀森」とも呼ばれたらしい。
由緒書きによると、これは湖西湖の逆流によって田畑が被害を受けるため、
付近一帯の岩磐浅瀬を利用して治水を行った祖先の姿を語るものであるという。
当社は、十二町鎮座日宮神社の旧末社であり、里宮の一つにあたるらしいが、
残念ながら日宮神社には参拝していない。
ところで『富山縣神社誌』によると、天明、慶応の明細帳に、
「八幡宮旧号楯桙神社、雀森産神」とあるらしい。
この「楯桙神」は、三代実録貞観六年(864)三月廿三日
「授和泉國從五位上積川神從四位下。遠江國正六位上筑紫對馬神。
越中國正六位上楯桙神並從五位下」とある楯桙神のことだろうか。
確認できていないので、とりあえず参考として記しておく。
当社の神紋に関しても確認できていないが、
拝殿屋根にカタバミ紋が付けられていたので、これを記しておく。
社頭 |
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鳥居 ![]() | 参道 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 扁額 ![]() |
御由緒
御祭神 應神天皇 神功皇后 比賣神当地は旧布勢湖の入口に当り、部落の名を村上 と呼び、古墳型丘陵上に文化の神八幡宮が祀ら れて来た。天明六年明細帳に「大友家持卿の御 創建越中国守として出挙の政の折、此の辺りに 悪亀住み、汐を吹き上げては田圃を害するため 磐を以て圧し鎮められたので此処をシヅメの 森、又は鈿女(うづめ)森と云ふ」として「雀森立ち越し 見れば布勢の海浪のこし路に白彦の神」なる 作歌あったと伝へてゐる。それは海抜ゼロメー トルの湖西湖の逆流に田の損なひの甚だしい のを、付近一帯の岩磐浅瀬を利用して治水に労 せられた祖先の姿を語るもの、後これを承けて 八幡の疎水(新川)が掘られ仏生寺河口に大 排水ポンプを設けて、十二町潟は貯水湖化した。 祭礼古は春四月六日、今十七日とせるは、元十二 町日宮神社の里宮であったから、山宮の日を取 ったもの、秋は九月八日旧を存して変らぬ。 −境内由緒書− |
