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出水神社
いずみじんじゃ
石川県加賀市橋立町ホ−1−甲  Zenrin Data Com Maps display !!


五七の桐

式内社 加賀國江沼郡 出水神社
旧郷社

御祭神
天津日高彦火火出見命 豊玉姫命 應神天皇
合祀 稻倉魂神

石川県加賀市にある。
大聖寺駅から北へ6Kmの橋立町に鎮座。

北前船の里資料館へ続く道から、西へ少し入り、
北前船主屋敷蔵六園へ向う道の途中に、境内入口に鳥居が北向きに立っている。

社号の「出水」は、
このページを書き始めた、ついさっきまで、「でみず」と読んでいたが、
「いずみ」と読むらしい。

境内に入り参道を歩くと、境内の鳥居と、
「江沼郷橋立村由来記」が記された石碑。
石碑には、当地の開祖・石巣宿彌尊が、驞䮳(ひんば)の背に乗った姿。

さらに参道を歩き、階段を上ると、境内。
正面にガラス張りの社殿があり、後方に本殿。
境内には、稲荷らしき境内社などが祀られている。

創祀年代は不詳。
一説には景行天皇の御代、橋立の開祖・石巣宿彌尊が勧請。
その後宝亀元年、石巣宿彌尊を氏神として合祀したという。
式内社・出水神社に比定されている古社。

古くは、「出水ノ澗」といわれる海辺に鎮座していたが、
波濤により崩壊したため、橋立村の出水山へ遷座し、
御山社とも称したという。

また、一向一揆時代に八幡宮を合祀し、西宮八幡とも称していたが、
明治五年になって、現在地である蛭場山へ遷座し、
明治十五年、出水神社の社号に復したという。

社殿の屋根や、拝殿内の幕に、桐の紋。


境内

境内

社殿

境内

稲荷社

本殿屋根

出水神社由来記

加賀国江沼郷橋立村由来記
 そもそも加賀国江沼郡橋立村の由来記は、昌泰申年(西暦九 百年)の写書が大破損に付き、ここに再度写し残す。御言い伝 えの伝記に、三千大世界の須弥山は南闡浮提の須弥の世界をい う。国造作り始めの事をあらまし記し置くものなり。
 加賀国江沼郡橋立村の御開祖は石巣宿彌尊なり。人皇第十代 景行天皇の十七年に、大漁の神と奉斎する驞䮳(ひんば)の背に乗り、こ の浜に御上りありて洞家を掘りて御住家とまします。御子に石 綱、御娘に岸女あり。驞䮳を洞中に飼い置くに、家に海猟あり て子孫繁盛す。あまねく天の下の海猟の元とす。人皇第四十九 代光仁天皇の宝亀元庚戌の年(西暦七七十年)の九月七日に氏 神を奉斎する。その頃は茅屋十四軒、男女四十六人あり。氏神 の尊は天津日高子穂々出見尊、先神は御神の苗裔の石土毘古尊上筒男中筒男底筒男、いずれも海水神なり。天通岐志、国 通岐志、天津日高神、底津綿津見神中津綿津見神上津綿津神大綿津見神豊玉毘賣神は出見命の御后の神なり。 玉依毘賣神宇都志日金折命、海犬養、安曇犬飼尊、いずれも海水神 なり。氏神の相殿に応神天皇を祭神とするは、人皇代は不詳。 清和天皇の御頃に大安寺僧の行基法師は宇佐に参詣し、霊告あ りて山城国男山正八幡の宮の奉斎者なり。村方の地形は、北の 子に水気あり。水溢るる象あり。南の午は火性に水火既済の象 あり。水は和合せず、水木退気あれども、返事ありて生気向か い。吉方の方位なり。総て建家構等押門尖り。午方位に水気置 く事なかれ。福門尖にて、水気置く事あり。天門尖りに金置く 事あるべし。氏神社より南二町の小塚は大漁驞䮳の塚なり。応 安年中より永正年間(西暦一三七十〜一五二十年)に天下は飢 え死に、ゆえにその後より田畑開かれたり。永正年間は村方大 いに衰えたり。文禄年間(西暦一五九二〜一五九五年)頃より 益々繁盛すべし。いずれも氏神を信仰すべし。村方の盛衰の写 しのまま記し置くものなり。

−境内石碑−



【 出水神社 (加賀市) 】

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