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鵜森神社
うもりじんじゃ
福井県坂井市三国町川崎13−11−1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越前國坂井郡 鵜屎神社
旧村社

御祭神
伊弉册尊
合祀
天津兒屋根命 天照皇大神 大日靈貴尊

福井県坂井市にある。
九頭龍川の河口近く、
えちぜん鉄道・三国神社駅の南2.5Kmの三国町川崎に鎮座。
103号線(福井三国線)を南下し、九頭龍川に突き当たる少し手前。
九頭龍川の側に境内がある。

境内入口は、北西向き。
参道を歩くと石の鳥居が建っており
その奥に、社域の森がある。

参道を進み、境内に入ると「鵜森神社」と刻まれた社号標。
木々の繁茂した境内の奥に社殿がある。

拝殿は瓦葺・入母屋造だと思うが、
『福井県神社誌』には「御拝流造」。
後方の本殿は銅板葺・流造。

参拝はゴールデンウィークの初日。
長野から福井へ向かう途中。
快晴で陽射しの強い休日の朝だった。

創祀年代は不詳。

伝説によると、
男大迹王継体天皇)が、三国湊口の岩山を切り通して
当地方一帯の水を海へ流す一大事業を行うにあたり
湖上にあった森に天照大神を祀り、宮居を建てたのが当社の起源。

その後、森には樹木が繁茂し、
鵜が数千羽巣食う状態となったため、
桓武天皇の御宇、延暦年間に、鵜屎神社号が宣下され、
坂上田村麻呂によって社領が寄付された。

長年、当社から都へ、
化粧品の原料となる鵜屎が献上されていたという。

後、天正年間に焼失し社領も失って衰退し、
白山神社と称していたものを
大正二年四月十七日、現社号・鵜森神社と改称した。

上記の伝説により、当社を式内社・鵜屎神社とする説があるが、
『式内社調査報告』では、その真偽に否定的である。

江戸時代まで、式内社・鵜屎(うくそ)神社に関する資料は存在せず、
幕末安政四年(1857)、岡野吉孝によって、初めて
川崎の「鵜の森」に鎮座する社が、鵜屎神社であると提示された。

岡野説によれば、「鵜の森」は「鵜屎の森」と呼ばれ、
天照大神を祀る神明宮が鎮座しているという。

その神明宮が、明治四十一年七月八日に
当社へ合祀されているらしい。

ところが『式内社調査報告』によると
川崎の西はずれにあった「鵜の森」を
「鵜屎の森」と称する資料は存在せず、
また、その「鵜の森」に鎮座していたのは
神明宮ではなく白山神社(当社)であったという。

以上のように岡野説には疑問も多く、
現在、当社を式内社・鵜屎神社とする説は一般的ではないようだ。

社殿に三つ巴紋が付いていたと記憶しているが
自信が無い。
写真も不鮮明なので「神紋不明」だったのだが
『福井県神社誌』に、「右三ツ巴」と記されていた。
ただし、「右」と言っても神社によって左右が逆だったりするので
とりあえず、あやふやな記憶を頼りに神紋を掲載しておく。

本殿の左手に、境内社の石祠が六つある。
中央の二祠が少し大きく、
その左右にそれぞれ、少し小さな二祠。
『福井県神社誌』には、境内社として
八幡神社・恵比須神社の名前が記されているが
中央の二つのことだろうか。


境内入口

参道と社域の杜

境内

社殿

拝殿

本殿と境内社六石祠

鵜森神社由来記
 今より約一千五百年の昔、勅命により三国湊口の岩 山を切り通して当地方一帯の水を海へ流すことになっ た 男大迹王は この至難な一大偉業を達成するには 先ず水神の鎮魂を図り 神々様の御守護を賜わって人 事をつくさんと決意され 当時湖上に浮ぶこの森に天 照大神を祭神とし 宮居をたてたのがこの神社であり ます 工事は十八年の長きに亘りましたが 殆んど毎 日参拝され真心こめて大願成就をお祈りしたと伝えら れています
 男大迹王 御年五十八歳の時 皇位継承のため時の 朝廷に迎えられて 人皇第二十六代継体天皇となられ ましたが 当時都に不足勝な鵜屎をこの森より朝廷へ 献上する道を開かれたと伝えられています 献上はそ の後長年に亘って続けられ 次のような尊くも有難い 宣下を賜わったのであります 今より約一千二百年の 昔のことであります
 「境内に樹木繁茂し 数千の鵜巣食い蕭々たる宮居 なり 桓武天皇の御宇延暦年中鵜屎森の宣下あり 鎮 守府将軍坂上田村麻呂社領を寄付す」
 現在石の鳥居の正面に見られるあの「鵜屎宮」の石 額こそ誠に貴重な宝であります 尚鵜屎は古代に於て 化粧用品として大変重要な物品であり これを少しで も多く手に入るよう神様にお祈りしたのであります
 当社は 古代の名君とたゝえられる継体天皇並に鵜 屎献上により古代の朝廷とかゝわりあいの深い由緒あ るあら高い宮居でありました
 茲に 謹んで当社のあらましを記録し 長く後世に 残さんとするものであります

 昭和五十五年(一九八〇)三月吉日
 本殿新築を記念して


−境内石碑−



【 鵜森神社 (坂井市) 】

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