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羽咋神社
はくいじんじゃ
石川県羽咋市川原町エ164
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式内社 能登國羽咋郡 羽咋神社 |
羽咋駅の西200mほどのところにある。
JR線と国道249号線の中間。
金沢を出る時には止んでいた雪が、
電車を降りた頃から、降り始め。大変な事になっていた。
境内に到着した頃がピークで、雪煙状態だ。
境内後方には前方後円墳があり、石撞別命の御墓とされている。
また、社殿の東横には、石城別命の御墓もある。
羽咋駅の西すぐのところ、小川を越えると八幡宮があるが、
ここが、祭神石撞別命の居館跡だと云われ、
古社地ではないかという説もある。
祭神石撞別命は、垂仁天皇の皇子で、
石衝別王・磐衝別命・伊波都久和希とも書かれる。
相殿の石城別命は、石撞別命の御子であり、羽咋国造。
磐城別王・偉波智和希とも書かれる。
弟苅幡刀辨は、石撞別命の御母。
道反大神は、明治42年に合祀した三俵苅社の祭神だった。
ただし、三俵苅社には、石撞別命の妃である三足比咩命の御墓姫塚
があり、そちらが祭神ではないかとも云われている。
往古、当地、高志の北島では、盗賊がはびこり、
瀧崎の森には怪鳥が住んで、人々を苦しめていた。
勅命により、石撞別命が下向され、賊を平らげ、怪鳥を教化した。
これが、羽咋の地名のおこり。
羽咋には七塚があり、以下の通り。
一.大塚(社殿後方御陵山、石撞別命御墓) |
二.大谷塚(社殿東方、石城別命御墓) |
三.姫塚(旧三俵苅社、現在羽咋駅あたり、三足比咩命御墓) |
四.稲荷塚(北方山) |
五.痛子塚 |
六.劔塚(八幡宮、石撞別命居館跡) |
七.水犬塚(少名彦名社) |
小雪の踊り狂う境内では、撮影が難しい。
しばらく、拝殿内で、おさまるのを待つ。
社殿周囲は、雪の吹き溜まりで、歩くと、膝まで埋まる。
履の中にまで雪が入ってくる。
風邪気味の身体には非常に辛い状況だったが、
今、思い出すと、子供の頃の雪の日々のようで、
なぜか、ウキウキとした感覚。懐かしい。
鳥居 | 境内から鳥居 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
大谷塚 石城別命御墓(磐城別王墓) |
羽咋神社
羽咋神社は任喜式に登史せられ、元県社です。上古勅命に衣り謁の国(能登の国)の 鎮撫使として羽咋の国に御下降なされた 第十一代垂仁天皇の皇子磐衝別命、並びに その御子磐城別王(羽咋の国造)等を、 祀っています。 相撲道場日本最古とも云う歴史と古式 を伝えて毎年九月二十五日(命の薨去) に執行せられる唐戸山神事相撲の有名を 約二千年の久しきに亘り連綿永続し、中 古の郷土庶民より羽咋の神と追称せられ 今日に及んでいる神社であります。 大正六年九月二十七日御祭神の両墓所 (磐衝別命、磐衝別命)が御治定に衣り 宮内省より当社に祭祀料等の御下賜あり 境内の整備がなされて現況となる。 誤字らしき箇所があるが、原文のまま記載。
−境内案内板− |
【 羽咋神社 】