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石武雄神社
いわたけおじんじゃ
富山県氷見市堀田1370

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式外社 石武雄神 |
富山県氷見市にある。
氷見線・氷見駅の南西5Kmほどの堀田に鎮座。
415号線を1.5Kmほど南下し、361号線を西へ進み、
361号線の道なりに、さらに南へ下り296号線と合流する手前。
道沿いに掘りのような用水路のような流があり、
道路に面して西向きに境内入口がある。
参道を進むと、境内入口の鳥居。
鳥居の脇には「村社石武雄神社」と刻まれた社号標が立っている。
鳥居をくぐり参道を進むと、もう一つの鳥居があり、参道階段を上る。
階段の途中で参道を左折し、さらに階段を上ると社殿のある境内。
よって境内そのものは南向きということになる。
境内左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿は切妻造瓦葺平入。
側面には雪除けのためか半透明の樹脂製のトタン板で覆われていた。
拝殿後方の本殿は全体がそのトタン板で作られた覆屋の中。
ということで、本殿の様式は確認できなかった。
参拝は10月後半の早朝。
深夜に長野の家を出て高速を走って氷見に着いたのはまだ夜明け前だった。
近くの広場で車を停めて仮眠し、周囲が明るくなって来た日の出の頃に当社に参拝。
創祀年代は不詳。
『富山県神社誌』によると、古くから石武雄神と称え、
『三代実録』に陽成天皇元慶三年(879)十月二十九日、
「正六位上石武雄神従五位下」とある式外の古社。
戦国時代、守山城主神保安芸守より社領等の寄進があり、
徳川家光の頃にも山森伊織、篠原豊後守などの武将からも寄進があったという。
当社は。もとは堀田村小字石崎(字柿木谷内)の地にあり、
この地一帯は石崎石の産地として有名であった。
伝承によると、石武雄神の霊石とされる奇石があり
その形状は鬼斧に似て「武雄」の名の霊威を象徴していたという。
当社の祭神は猿田彦大神の一柱。
明治になって政府の指導により、堀田村内の五社の氏神を合祀して
明治四十二年三月二十日、堀田中央部の現在地に社殿を建てて遷座。
翌明治四十三年四十三年四月十四日にもさらに数社を合祀して、
堀田の総氏神となった。
当社に合祀された社は以下の通り。
明治四十二年合祀。
字柄鋤鎮座・村社大国主社(大国主命、天照大神、国狭鎚神)、
字旦間鎮座・村社八幡社(誉田別尊、比売大神、息長帯比売命)、
字堤谷鎮座・村社白山社(菊理姫命)、
字柄鋤鎮座・村社神明社(天照皇大神)。
明治四十三年合祀。
字山の越鎮座・稲荷社(倉稻魂命)、
字立の山鎮座、宮の脇鎮座・天満宮(菅原道眞)、
字上野鎮座、字滝谷鎮座・諏訪社(建御名方神)、
字旦間鎮座、字鬼谷鎮座・大山祇社(大山祇神)。
拝殿の屋根に梅鉢紋が付けられていた。
富山・石川に多い神紋だけど、当社の神紋ではなく
前田藩との関係から付けられているだけかもしれない。
境内入口 |
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入口の鳥居 ![]() | 参道の鳥居 ![]() |
参道階段 ![]() | さらに階段 ![]() |
階段上の境内 |
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社殿 ![]() | 本殿覆屋 ![]() |
境内社殿 |
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