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御木神社
みきじんじゃ
石川県加賀市三木町34−98

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石川県加賀市にある。
加賀I.C.の近く、三木に鎮座。
昔は右村と呼ばれていたらしい場所。
狭い道路がカーブしている場所に西向きに境内がある。
ということで、早朝、日の出の頃の参拝では完全に逆光になり、
写真が少し暗め。
境内は道路に面して開放的なので、普段はもっと明るいはず。
数段の階段を上り、境内に入ると、
境内奥に社殿。境内の左右に境内社が一つずつ。
拝殿の後方、一段高く本殿があるが、
拝殿も本殿も、ガラスで覆われていた。
北陸特有の神社様式で、ビニールシートや板で覆うよりは美しいのだが、
少しの違和感。
本殿の回りの木は、すっかり整備されて淋しげな風情。
本来なら、もっと木々に覆われた社殿なのだろう、と思う。
創祀年代は不詳。
明治以前には、貴船社と呼ばれていた神社。
鎮座地の三木町(右村)から、式内社・御木神社に比定されている神社。
往古は、宮山と呼ばれる地にあったが、
いつの頃か、堂の谷(現在地)に遷したものだという。
その古社地に関しても、現在地の東方にあったという説や、
西方の梅山と呼ばれる地であったとか、いろいろ。
要するに、昔は、別の場所にあったことだけは確か、らしい。
社伝によると、
往古、周囲は湖水であったが、
大蛇が棲みついて人々を苦しめていたため、
守護神として、大神を祀ったのが創祀。
御木神社の社号に関して
面白い説として、
貴船・白髭・松尾の、三柱を祀るため、
三貴と呼ばれたという。
ちょっと、こじ付け感があるが。
境内の神馬像や拝殿には、輪宝らしき紋様が付けられており、
輪宝が、当社の神紋だと思う。
ただし、後方の本殿の屋根には、石川龍胆と思われる紋も付けられていた。
裏紋だろうか。
境内入口 |
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境内 |
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拝殿 ![]() | 社殿 ![]() |
本殿 |
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境内左の境内社 ![]() | 境内右の境内社 ![]() |
御木神社由緒
社伝によると当時は塩屋海岸に堀切りがなく、江沼の潟と 称する大きな湖があり、ここに大蛇が樓みつき田畑を 荒したので、この地をお守りいただく大御神として 大御食津神を奉り、御木神社と称したと伝えられている。 「御食」は「御木」「右」「三木」とも通じており農業の神 をお祀りしたと考えられる。中古の動乱の際、兵火にあい 社地を宮山より現在の地に移した。社格は村社であり 明治三十九年十二月十九日石川県告示にて 神饌幣帛料供進神社に指定された。 明治四十年三月十一日右村新村の菅原道真を祀る 賀女堂社を合祀する。社殿は明治二十五年に改築し 右村全部を氏子とし春は三月秋は九月の各十六日を祭日としてきた。 −社前由緒板− |
【 御木神社 (加賀市) 】
