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分神社
わけじんじゃ
福井県福井市脇三ヶ町40−18
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式内社 越前國足羽郡 分神社 |
福井県福井市にある。
越美北線(通称九頭竜線)一乗谷駅の北西1Km。
越前東郷駅から東へ2Kmほどの三ヶ町に鎮座。
足羽川が大きく蛇行している場所の近くに西向きに境内がある。
背後の御茸山は、御茸山古墳群と呼ばれ、
丘陵上南北2Kmに渡って160基の古墳が分布しているという。
鳥居をくぐると、遊具などが置かれた広い境内。
参道を進み、もう一基の鳥居をくぐると、正面に
鉄筋コンクリートの美しい拝殿が建っている。
拝殿の後方に、細身で屋根がやや大きめの
同じく鉄筋の本殿がある。
本殿の後方が一段高くなっており、
その上に、なにやら意味ありげな祠。
脇の階段を登り、祠の中を覗いてみると、
中に石の祠や、石の狛犬などがある。
が、詳細は不明。
創祀年代は不詳。
継体天皇が越前に居られた頃、
御伯父である伊波知和希命の御霊を祀ったものという。
ということで、祭神・伊波知和希命の
「和希」から「分(わけ)」という社号になったらしい。
ただし、天皇が肉親を祀ることの不自然さから、
安閑天皇・彦坐王(別公祖神)・別雷神など、異説も多い。
式内社・分神社に比定されている古社である。
元亀年中、織田氏の兵火に罹り、社殿古記等を焼失。
天正年間、牧山城主長谷川秀一によって再興された。
毘沙門・安原・小路・南山・杣・中脇・河原脇
七ケ村の総社であったといい、
明和二年、現社地へ遷座。
古社地は、現在地の西200mほどの水田の中。
昔は、大森社と称しており、
『越前国神名帳』にある、「従四位 大杜神」が
当社のことだと考えられている。
社殿の屋根には、三つ巴紋が付けられており、
拝殿内の幕には、桐紋や、三光紋などがあったので、
現地では、どれが神紋かわからなかったが、
『福井県神社誌』には、三光と記されている。
社域 |
境内 | 境内 |
社殿 |
社殿 | 拝殿 |
本殿と後方の祠 | 祠 |
祠から本殿 |