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住吉神社
すみよしじんじゃ
石川県輪島市鳳至町鳳至丁1  Zenrin Data Com Maps display !!


鳳凰

式内社 能登國鳳至郡 鳳至比古神社
旧郷社

御祭神
底筒男命 中筒男命 表筒男命 神功皇后
配祀 大己貴命 鳳至比古命
合祀 大國玉命 稻荷大神 惠毘須大神 牛頭天王

石川県輪島市にある。
輪島港の近く。河原田川の河口部近くにかかる
いろは橋を渡って西へ行くと境内入口がある。

境内入口に鳥居が建ち、右手に社号標。
鳥居をくぐると正面に社殿があり、
参道には灯篭が並んでいる。

社殿は、大きな拝殿の後方、
垣に囲まれて本殿があるが、
残念ながら屋根しか見えなかった。
もっと注意しながら探せば、
本殿の全体が見れる場所があったかもしれないが、
船の出港待ち時間の慌しい参拝で確認できなかった。

社伝によると、人皇第十七代仁徳天皇十二年、
紀伊国牟婁県より、住吉大神を
能登に初めて鈴ノ県に勧請奉斎し、
海上鎮護、万民守護の大神として尊崇された古社。

一説には、崇神天皇の御宇の勧請とも。

式内社・鳳至比古神社の論社の一つであり、
古来、大宮と尊称されてきた。
文政八年二月以降は、住吉宮と称している。

当社は始め、大屋庄御霊地山に鎮座しており
後、四塚に遷座。
水難兵乱のため、現在地に遷座されたという。

主祭神は神功皇后住吉三神だが、
鳳至比古神社として、鳳至比古命を配祀する。

また、明治七年に以下の摂末社を合祀した。
大国魂神社、八坂神社、稲荷神社、大姥神社、
恵比寸神社、白山神社、金山神社、塗師祖神社。

この塗師祖神社を祀るところが、輪島らしい。

社殿の右横に、市姫社という境内社があり、
宝塔のようなものが祀られていた。

神紋は、たぶん、鳳凰紋。
鳳至比古神社という社号から鳳凰としたのだと思う。


境内入口の鳥居

境内

社殿

拝殿

本殿の屋根

拝殿

右脇に市姫社

市姫社

住吉神社略記
本社は延喜式内鳳至比古神社と伝へられ、人皇十六代仁徳天皇十二年住吉大神を能登に始めて奉斎し、海上鎮護、万民守護の大神と尊崇せられ、一国の大宮として古来鳳至比古神社住吉大明神として歴代皇室の尊崇あつく、武門武将の崇敬又深く、社殿の造替、金品の寄進屡々なり、又前田利家天正十年能登巡国の際、本社に参拝し社殿修復料五十俵の地を寄せ、神主浅井則信に田地を与えたるを始めて前田家累代篤く本社を崇敬された。
又本社は古来大宮と俗称せられ、今に例祭を大宮祭と称し、其の祭礼市を大宮市と唱へ、鳳至町一千戸の産土神と仰がれるばかりでなく、一国の大宮として衆庶の尊崇を集めてきたのである。
始め当社は大屋庄(大屋村一帯)御霊地山に鎮座され、神宮寺を鳳至院と称し壮大を極め神部十二員の民邸等の旧跡今に残し、釈迦堂、仁王堂等の地名往昔の盛況を証するが、近古水難、兵乱の為に現在地に移し奉れるものであります。
現社殿は文化十年所口(七尾)の住人芝田新助矩一により建造されたもので、特に本殿はその構造の堅実なる手法向拝にほどこされた虹染、木鼻の彫刻、胴貫の花鳥、透彫にいたっては絢爛をほこる徳川時代の建造物としての面影を遺憾なく発揮し、社寺建築木割法に則って築造せられた神社建築の当地方での代表的建造物であります。
現在、市重要文化財に指定されています。

−『平成祭データ』−



【 住吉神社 (輪島市) 】

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