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越知神社
おちじんじゃ
福井県福井市河水14−22

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福井県福井市にある。
福井駅の東5Kmほどの河水に鎮座。
北陸自動車道を越え、164号線(大畑松岡線)から東へ入ったところ。
小学校の奥、山の斜面に境内がある。
境内入口の鳥居は西向き。
鳥居の脇には「越知神社」と刻まれた社号標。
階段を登り、左(北)に進むと境内。
ということで、境内・社殿は南向き。
境内の奥に、鉄パイプで補強された拝殿があり、
その後方に流造の本殿がある。
山(というか丘)の中腹にある境内は
あまり広くはないが、こじんまりとして綺麗な神社だ。
創祀年代は不詳。
式内社・神傍神社に比定されている古社。
神傍と書いて「かむそひ」と読むが、この社名が
転訛して、鎮座地の河水となったという。
社伝によると、
当社が古来より神傍神社であったが、
明治になって、誤って「越知神社」としてしまったという。
その理由は、当社には「不動明王越知山毘沙門天」と刻んだ
一尺四方位の石があることからだという。
神傍神社の所在地には異説もあり、
上家郷(現在の福井市主計中町あたり)にあったとも考えられているが、
現在、神傍神社に相当する神社は存在しない。
社殿の屋根には、輪宝紋が付けられていた。
『福井県神社誌』によると、八角輪鉾車と云うらしい。
鳥居と参道 ![]() | 境内 ![]() |
境内 |
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本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
当社の由緒とわが里
当社は西暦九〇五年から九二七年に かけて編纂された延喜式の神名帳に 記載されている式社神傍神社であり 河水の地名は神傍が転訛したもので あるという。(上家−主計中村にあっ たとする二説がある) 神傍神社は 足羽郡に十三社あった式社の一つで あって祭神は伊弉諾尊と神狹(俠)日命 という。明治四十年県に提出した社 号改称願理由書に神傍村は千余年前 ここにあった古村であることは明ら かで天保年間迄は神傍神社と称して 来たが明治十二年の神社由緒届の際 誤って越智と上進してしまった。証拠 の神宝書類も数多くあった筈だが源 平盛衰、南北朝争乱、朝倉の没落、寺院の 兵変にかかり失ったとある。御神体 は明治十八年に作られた聖観音、毘沙 門天、不動明王の木造の三尊である。 尚境内敷地は三六九坪である。 −参道石碑より− |
【 越知神社 (福井市) 】
