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波自加弥神社
はじかみじんじゃ
石川県金沢市花園八幡町ハ165

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式内社 加賀國加賀郡 波自加彌神社 |
石川県金沢市にある。
JR森本駅の北東3Kmの花園八幡に鎮座。
8号線から、信号を東へ入ると、正面に鳥居が見える。
境内は、鳥居から階段を登った丘の上。
地図を見ると、8号線の西側にも波自加弥神社という名前があるが、
それは、当社の遥拝所(御影所)らしい。
残念ながら行っていないので写真はないけど。
社前に用水路が流れ、石の小橋を渡ると鳥居。
鳥居をくぐって、参道の階段を登り、
参道を左に折れ、更に参道を歩くと、境内がある。
境内に入ると正面に拝殿、参道の左手に境内社が二つ。
拝殿の後方に本殿がある。
創祀年代は不詳。
往古は、四坊高坂に鎮座していたが、
源平の戦火により社殿を焼失。
現在地にあった八幡宮の相殿に祀られた。
そのため、明治以前は、八幡宮と称しており、
地名の花園八幡も、社名から取られたものだろう。
ただし、明治になって、社名は波自加弥へと変更された。
本殿には、
向って右に波自加弥神、左に八幡宮が祀られているらしい。
社前の案内にもあるが、
当社の社号「波自加弥」は、「薑」(はじかみ)を語源とするもの。
薑は、生姜の別名で、神功皇后の時代、
武内宿禰によって当地へ始めてもたらされたという。
ゆえに、祭神・波自加弥神は武内宿禰であるとする説がある。
参道の境内社は、
摂社咩屏堂(武内宿禰神・日吉大神)と八幡山稲荷社。
社殿の屋根などに桐紋と菊紋が付けられていた。
五三桐と五七桐なども見られたので、
桐紋の種類は特に重要ではないようだ。
社域 ![]() | 参道階段 ![]() | 参道と鳥居 ![]() |
境内 |
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社殿 |
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境内社 ![]() | 本殿 ![]() |
波自加彌神社の由緒
金沢市二日市町・花園八幡町入会地に鎮座し、波自加彌神(はじかみのかみ)、一国一社護国正八幡神を主神とし、相殿に神明、春日、諏訪、薬師の神々を配祀する。 旧社格は郷社で、延喜式内の古社である。 創建は 718(養老2年)で、始め四坊高坂の黄金清水(こがねしょうず)に鎮座していたが、寿永年間の源平合戦の砌、兵火のため社殿亡失し、現在地の田鹿(たぢか)八幡宮に遷座され、復合の神社となったが、正四位上の神階をもつ波自加彌神が八幡神より上位と考えて、社名が今のものに変更された。 田鹿八幡宮にとっては、庇を貸して母屋を取られたことになる。 波自加彌神は、調味医薬・五穀豊穣の神として全国に類例のない食産神(しょくさんしん)で、歯でかんで辛(から)いもの即ち、生姜(しょうが)・山椒(さんしょう)・山葵(わさび)などの古語で『薑(はじかみ)』を語源とする。 境内には、神功皇后の三韓征伐の折、朝鮮半島より医薬としての生姜を我が国に初めて伝えた、朝臣武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)を祀る摂社諶屏堂(せっしゃじんべいどう)が鎮座し、生姜の古名を名乗る本社との関係が伺える。 古くはこの地方一帯が生姜の栽培地であったので、守護神として波自加彌神を祀ったことが起源とされるが、田近郷(たぢかごう)の総社として、その地名が田近、田鹿、波自加彌と転語したとの説もある。 社前を流れる河原市用水は、1686(貞享3年)に完成したが、建設した中橋久左衛門は、本社の神託によって現れた白狐の足跡をヒントに用水路とした。 以来用水の守護神としても仰がれてきた。 平成13年(2001年)、21世紀に向けて一千三百年の式年大祭を迎える。 −『平成祭データ』− |
【 波自加弥神社 (金沢市) 】
