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伊射奈伎神社
いざなぎじんじゃ
福井県大飯郡おおい町福谷字宮前48−7
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福井県のおおい町にある。
若狭本郷駅の南西10Kmほどの福谷に鎮座。
佐分利川に沿って1号線を進み、
舞鶴若狭道の大阪高浜I.C付近で北へ入り、
川沿いの道を西へ進むと、集落の奥に境内がある。
境内入口に鳥居が建ち、
鳥居をくぐり階段をのぼると県指定天然記念物の裏白樫(ウラジロガシ)の木。
綺麗に整備された境内の中央に、砂利の参道があり、
参道の正面、石組みの上に社殿がある。
拝殿は板の雪囲いをした入母屋造。
拝殿背後の石垣の中に、側面を雪囲いされた流造の本殿がある。
社殿の前には、こちらは町指定天然記念物の栂(トガ)の木。
栂は柘植の別名らしい。
かたわらの立石は注連縄で祀られている。
創祀年代は不詳。
元亀年間(1570〜73)の兵火によって由緒等を焼失。
中世には、福谷宮、天満自在天神宮と称し
明治までは、天満宮と呼ばれていた神社。
元文二年(1737)、小浜の谷唯圭によって始められた
若狭三郡の天満宮二五社参りの内に数えられ、
学問芸術の神であり、「十七ヶ村の大社」として崇敬されていたらしい。
「十七ヶ村」とは、野尻、父子、満願寺、広岡、神崎、岡安、笹谷、
鹿野、小車田、佐畑、石山、久保、福谷、安井、川關、川上、三森。
当時は三基の大鳥居があり、
一の鳥居は東へ9Kmの野尻に、二の鳥居は南東2Kmの石山にあったらしい。
式内社・伊射奈伎神社に比定された古社で
明治十六年三月、伊射奈伎神社と改称された。
明治四十四年三月、以下の近隣九社を合祀した。
石山字宮前・熊野神社、福谷字君前・熊野神社、久保字南村中・熊野神社、
久保字南村中・山神社、安川字北關川原・八幡神社、安川字東奥谷・八幡神社、
小車田字宮前・姫宮神社、小車田字大谷・八幡神社、佐畑字西谷・八幡神社。
『福井県神社誌』や『式内社調査報告』によれば、
境内社は、稲成社と八幡宮と山神社の3社。
残念ながら、参拝中に山神社には気付かなかった。
また、『式内社調査報告』には
「本殿東側に稲荷神社、八幡神社と西側の山神社」とあるが
現在は、東側に稲成社、西側に八幡宮が祀られている。
ひょっとすると山神社は、合祀されたのかもしれないが
僕は確認していない。
社頭 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
八幡宮 | 稲成社 |
ウラジロガシ | トガ(栂) |
『式内社調査報告』によると、
加斗(荒木)に、式内社・伊射奈伎神社の旧蹟とされる「伊射の森」があり、
近世には、山の神として祀られたとある。この辺り →
「伊射」とは「イヤ」の意味で、樹木の高く茂った土地であるという。
山の神は、江戸時代後期には、椎の木二株に注連縄で祀られていたらしい。
なにか痕跡があるかも、と思って行ってみると、
何かの工事らしく、山が半分削られていた。
森の入口付近に祠が一つあったので、
中を見てみると、地蔵堂だった。
帰宅後に、もう少し南側の山麓へ行けば、
何か残っていたのかも、と思った。
伊射の森か? |
祠 | 地蔵堂だった |